気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

考えることのできない信徒を生み出した対話拒否路線。




いつもみなさん、ありがとうございます。



私は元々創価学会のバリバリの活動家でした。
私が一番好きだった活動は家庭訪問、友好活動と称してたくさん友だちを作って遊ぶのが好きでした。
また私は元広宣部の活動家でもありました。妙観講やら顕正会やら、組織内に事案があれば出動し、回答不能になるまで対論をしてきたものです。罪深い人生です。



私はブログ開設当初、まだその広宣部あがりの対論の性格が消えていませんでした。
非活から退会を選び、日蓮正宗からも離れ、さらには日蓮思想の検証を通じて日蓮からも離れました。
そこで自身の思考の愚かさを深く反省し、己の罪深さを呪ったものです。



私に語れるものがあるとするなら、私はそれなりに真剣に研鑽をしてきたということです。
まあ、自分の買える書籍の範囲内で、私は御書を読み、池田大作氏の著作も読み、牧口常三郎全集も読み、富士宗学要集や日蓮宗宗学全書、歴代法主全書等の文献も揃え、日蓮正宗側の文献や慧妙(当時の広宣部には聖教新聞とともに慧妙をとっている活動家もいました)などを読み、どういう風に教団論理が構成されてきたのか、どのように創価学会大石寺が批判されてきたのか、歴史的経緯も含めて学んできたのです。



今ではそれらの研鑽が全く無意味だったと思っています。そもそも専門で学ばれている方には何も敵いませんし、何か伝えられることがあるとするなら、私が集めてきた文献やら知ってきたこと、見てきたこと、学んだことを、気軽にブログで書くくらいです。



私が広宣部の活動から遠ざかる頃、創価学会は段々、他宗派に対して対論や過激な破折活動をしなくなります。
というのも、いろんなことを知ってしまった広宣部の活動家たちが日蓮正宗の信徒になってしまったり、退会してしまったりする事案が多発したからです。
当時、広宣部はスパイ活動まがいのことまでしていました。創価学会を脱会するようなふりをして勧戒式まで受け、素知らぬ顔で教団二重籍で大石寺に登山したりする人が多発したのです。大石寺内にも創価学会寄りの隠れ仮面僧侶もいましたので、狐の狸の化かし合いのような状況だったのです。



創価学会は、段々過激な色を弱めて、他宗派との対論をやめ、「会うな」「対論をするな」「ネットは見るな」という対話拒否路線にシフトしていくようになります。
そして教学は何もなくなります。『大白蓮華』の座談会御書は御書全集のほんの数行程度を大きな字で引き伸ばして、さもたくさん読んだように偽装したものになり、日寛の六巻抄や文段など全く読まなくなります。また日蓮正宗由来の教義(宗教の五綱、五重の相対、三重秘伝など)など教学試験の範囲から消えていきます。後に残ったのは教学を知らない、内弁慶の信徒たちだけです。



だから今の信徒たちは、何も語ることができません。若い人たちは特に戸田城聖氏が東京建設信用組合で事業停止命令を受けたことや、夕張炭労事件や小樽問答など歴史的な事実さえ知りません。彼らは学ぶことを奪われてモバイルSTBの神話化された池田大作氏しか知らないのです。
そんな信徒たちは事実を受け止めることができませんし、都合の悪い事実には耳を塞ぐことしかできません。対話ができないのです。
そのような信徒を生み出したのは、創価学会という教団です。



私は教団にも信濃町幹部にも頼らずに自身で学んできました。一部の広宣部の活動家や、また日蓮正宗の一部僧侶たちから学んだこともありましたが、基本は一人で学んできました。
ですから独りよがりで、研鑽が不足するところも多かろうとは思います。けれど私はそれでよいのだと思います。日蓮正宗創価学会のような大石寺系教団の欺瞞の教義から離れて自身で思索することを選びたかったのです。どうせ間違えるなら自分の責任で間違えたかったのです。私は教団の活動分子になどなりたくないですから。



自分の頭で考えられる人がいない創価学会等の大石寺系教団、そんな中で内弁慶な論理で対話拒否することしかできない信徒を見る度に、彼らは教団論理の犠牲者なのだろうなぁと感じずにはいられなくなります。