気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

呪術を取り入れ、変容した大乗仏教。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私は以前、こんな記事を書いています。
 
大乗仏教運動と教化の特徴」
 
この中で指摘したことですが、大乗仏教教化方法は、当時の民衆の精神的素質あるいは傾向に適合するような仕方に頼る必要がありました。そこで仏や菩薩を信仰するなら、多くの富や幸福が得られ、無病息災となると説くようになります。そして注目されるべきは、教化の方法として大乗仏教は陀羅尼と呼ばれる「咒句」を用いるようになります。
本来、釈迦の教えには「呪文」「陀羅尼」等は存在しません。ただ大乗以前の初期の仏教教団ではバラモン教の影響下にある呪術を眼前に取り去ることは難しく、それを事実上黙認していました。
歴史の変遷の過程で、いつしかそれらが仏教の本質であるかのように変容していきます。その結果、経典や仏の名前、経典の題目等を「読誦」するような呪術的な態度が仏教の正しい修行の一つであるように変貌していくのです。
高野山真言宗の元管長である松長有慶氏の著作から引用してみます。
 
 
「初期の仏教経典によれば、釈尊(ゴータマ・ブッダ)は教団の構成員に対して、バラモン教的な呪術や儀礼の行使を禁止したという。それらは比丘たちの悟りにとって意味をもたぬとみなされたからである。しかし比丘や比丘尼たちが、すべてこの禁止のいましめを守りとおしたかどうかについては疑問が残る。仏道を志して仏教教団に加入した者も、入門以前はヒンドゥー(インドで生活する者)としての習慣や行動規範に従って日常生活をおくっていた。だから悟りをめざす宗教生活では教団の規定を厳格に守る比丘、比丘尼たちといえども、日常生活的なしきたりから完全に脱却するのは不可能であった。
たとえばインドで森林を歩くとき、いつ蛇や毒虫に襲われないともかぎらない。それを防ぐために、人びとは大声で呪文を唱えながら歩き、まえもって蛇や毒虫を追い払った。しかしこういった生活技術に類する呪文まで呪術であるとの理由で除去してしまうと、遊行する比丘たちが身の安全を守ることはできなくなってしまう。
初期の仏教教団でも、悟りへの道にとって障害とならない場合にかぎって、呪術や日常生活上のささやかな儀礼に対する禁令をゆるめ、呪術などの行使を黙認せざるをえなかった。たてまえとして仏教は、呪術とか儀礼を否認した。しかしながらそのことが、ただちに教団内で呪術とか儀礼が全面的に排除されていたということを意味するわけではないのである。
現在、スリランカとかタイ、ミャンマーなど南方仏教圏では、除災のために唱える呪文をパリッタと呼んでいる。パリッタには、蛇除けとか病気なおしに用いられるものが多い。これらは『律蔵』とか『阿含経』など初期仏教経典に説かれているが、それらを素材として、のちに『孔雀経』とか『毘沙門天王経』といった密教経典が成立した。
南伝系のパリッタとともに、北伝系では上座部系統の法蔵部の中に、経、律、論の三蔵以外に、菩薩蔵と呪蔵がたてられている。菩薩蔵とは大乗仏教となんらかの関係をもつものと思われるが、その他に呪蔵が別立されているところに注意すべきであろう。
西暦紀元の少し前ころから、仏教の流れの中では、それまでのように出家者中心の教団だけではなく、在家を主体とする信仰集団も生まれてきた。仏教は思想的にも信仰の上でも、この時期に大きな転換期を迎えたのである。ヒンドゥーとしての通常の在家生活をしている者が、仏教の信者となるのであるから、釈尊の教えも次第に変質をよぎなくされ、形を変えていくのも当然のことであった。」
(松長有慶『密教』17〜18ページ、岩波新書、1991年)

いかがでしょうか。
初期仏教に見られる釈迦は『スッタニパータ』等に見られるように、相手の思想を全面的に否定するのではなく、少しずつ目を開かせていくような対話の方法をとりました。釈迦が対話の名手とされる所以です。
その中で、初期の仏教教団では古バラモン教に由来するような呪術やまじないの類いは修行の方法として否定されてはいても、全面的に禁止されていたのではありません。日常生活の中でしきたりや習慣として多くの修行者も呪術を用い、それを教団も黙認していたということなのでしょう。
それが大乗成立の際、南伝のパリッタの概念が取り込まれた経典から密教経典の基礎が作られ、次第に釈迦の教えが変容していくことになります。
 
 
 
参考文献
松長有慶『密教岩波新書、1991年