気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大乗仏教運動の誕生と教化の特徴。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は「大乗仏教」とは何だったのか、インドで生まれた釈迦の仏教から離れ、新しく生まれて中国で大成した北伝仏教について、その運動の意義や問題点を簡単に書いてみます。参考にするのは中村元の『龍樹』(講談社学術文庫、2002年)第2章「ナーガールジュナの思想」から「大乗仏教の思想」の部分を中心に、私なりに噛み砕いて書いてみたいと思います。興味のある方はぜひ同書を手に取ってお読み頂けたらと思います。
今回の記事は若干長めになります。丁寧にゆっくりと読んでみてください。
 
 
紀元100年前後の仏教は、伝統的保守的仏教が圧倒的に優勢な社会的勢力となっていました。その中で、一般民衆とその指導者の説教師の間で新しい仏教運動が起こりつつありました。これがいわゆる「大乗仏教」になります。
 
 
大乗仏教に対して旧来の伝統的・保守的仏教は「小乗仏教」とされますが、これは「大乗仏教」側から故意に呼んだ蔑称に過ぎません。なので、私はあまり「小乗仏教」「大乗仏教」という言い方はしないようにしています。私の場合、どちらかと言うと前者は「上座部仏教」(それ以前は初期仏教か原始仏教)で、後者は「北伝仏教」あるいは「漢訳仏教」と呼ぶことが多いかと思います。
 
 
旧来の上座部仏教諸派は自分たちを仏教の正統とし、大乗仏教の存在を無視していました。
旧来の諸派はたとえ変容されたとしても、少なくとも歴史的人物としてのゴータマ・ブッダの直接の教示に近い聖典を伝えて、伝統的な教理をほぼ忠実に保存していたことです。
 
 
ところが大乗仏教は違いました。大乗仏教は伝統的な教理を無視して全く別の新たな経典を創作しました。そこに現れる釈迦は歴史的人物というより、むしろ理想的存在として脚色されて描かれるようになります。
 
 
また旧来の仏教諸派は当時、国王や富豪などの政治的・経済的援助を受け、広大な荘園を所有して、その社会的基盤の上に成立していました。
ところが、これに反して大乗仏教は、少なくとも初期のうちは、民衆の間から盛り上がった宗教運動であり、荘園を所有していませんでした。大乗仏教は「国王・大臣に近づくなかれ」として権力者に阿諛追従することを誡め、その信仰の純粋なことを誇りとしました。また富裕な者が寺塔を建立し、莫大な富を布施することに功徳があることを認めますが、それよりも経典を読誦したり書写したりすることの方が、比較にならないほどはるかに功徳が大きいとして読誦を推奨するのも大乗仏教の特徴でした。
 
 
伝統的仏教諸派は社会的勢力を有し、莫大な財産に依拠して、自ら身を潔しとしていたため、その態度は独善的・高踏的でした。彼らは人里離れた巨大な僧院内部に住み、静かに瞑想し、坐禅を修し、煩瑣な教理研究に従事していたのでしょう。
大乗仏教は、彼らの生活態度を強く攻撃しました。大乗仏教から見れば彼らの態度は利己的・独善的であると蔑視し、彼らを「小乗」と貶して、自分たちは利他行を強調するようになります。大乗仏教では慈悲の精神に立脚し、衆生を苦しみから救うことを希望します。利他行を実践する人は菩薩に当たるわけです。
 
 
しかしこのような菩薩行は、一般の凡夫には難しいものです。そこで大乗仏教派はまず諸仏諸菩薩に帰依し、その力によって救われ、その力にあずかって実践を行うことが説かれるようになります。したがって信仰の純粋であるべきことが強調され、ブッダはますます超人的な存在として表象されるようになります。
 
 
大乗仏教はそのために三世十方の諸仏の出世を表すようになります。阿閦仏、阿弥陀仏薬師如来などが特にそうです。また菩薩等も修行者を超えて超人化されるに至ります。実際、法華経では釈迦の永遠化が説かれ、阿弥陀仏が説かれます。また法華経でも普賢菩薩や観世音菩薩等の功徳が強調されています。
 
 
大乗仏教の教化方法は、当時の民衆の精神的素質あるいは傾向に適合するような仕方に頼る必要がありました。そこで仏や菩薩を信仰するなら、多くの富や幸福が得られ、無病息災となると説くようになります。そして注目されるべきは、教化の方法として大乗仏教は陀羅尼と呼ばれる「咒句」を用いるようになることです。これらの陀羅尼(呪文)読誦による教化は大乗仏教側としては大きな成功を収めましたが、中村元氏は「しかし同時に大乗仏教が後に堕落するに至った遠因をここにはらんでいる」(前掲書59)と述べています。大乗仏教は現世利益と民衆にわかりやすいことを優先し、陀羅尼に偏向するようになったがため、本来の釈迦の原始仏教の考え方から乖離が生じ、後に権威化する側面を持ったと言えるでしょう。中村元氏は「大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である」(同59〜60)と述べています。つまり大乗仏教は伝統的な教理の批判から始まりながらも、その実、本来の釈迦の教えから徐々に逸脱していくことになった「文芸作品」に過ぎないのです。
 
 
少し長くなりました。
大乗仏教の祖と言われる龍樹がこの後、なぜ説一切有部を批判するに至ったか、また説一切有部伝統仏教教派でありながら、なぜ「法有」の立場を主張し、それに対してなぜ龍樹が『中論』を書いて批判するに至ったのかについては、また別稿を考えたいと思います。
 
 
 
 
参考文献
 
中村元『龍樹』講談社学術文庫、2002年(原著「人類の知的遺産シリーズ」13『ナーガールジュナ』講談社、1980年)
秋月龍珉『誤解された仏教』講談社学術文庫、2006年(原著『誤解だらけの仏教-「新大乗」運動の一環として』柏樹社、1993年)