気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

宇宙や生命の永遠性は密教の思想である。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて創価学会日蓮正宗顕正会等、大石寺系教団の信者たちの多くは「生命の永遠性」とか「宇宙の法」と言ったことをよく語ります。
実際、アメリ創価学会の勤行要典を読むと、唱題によって宇宙と個人の生命とのハーモナイズが説かれていますので、これらの考え方はSGI創価学会インターナショナル)においても共通理解されているのでしょう。
 
SGI-USAの勤行要典から」
 
ところが、本来の仏教、釈迦の教えとは「宇宙の永遠性」や「生命の永遠性」等、四聖諦の教えに関係がないこと、修行に意味がないことは、「無記」として退けられているのです。
事実、『小マールキヤ経』(『摩羅迦小経』)では有名な「毒矢の喩え」が説かれ、比丘マールキヤプッタが質問した「世界の永遠性」や「無限性」また「生命と身体の問題」「死後の生命」などについて、釈迦は回答を避け、人生の苦を除くための四聖諦を説いても、そのために有用でないことは説かないとします。釈迦は無記を語らず、目の前で自身の体に刺さった毒矢を抜くのが先だ、それこそ四聖諦であるということを示すのです。
 
 
では仏教が大乗仏教へと変貌し、釈迦の教えが歪曲されていく過程で、どこで仏教思想に「世界の永遠性」や「宇宙と生命の問題」等が混入させられ、どこから仏教が宇宙や世界の構造を語っていくようになるのでしょうか。
それは端的に言えば密教であり、密教曼荼羅の思想からです。
高野山大学名誉教授で文学博士の松長有慶氏は以下のように述べています。
 
 
仏教徒はもともと世界の構造に関して、それほど興味を示さなかった。そのような形而上学的な問題については、釈尊は悟りに益なきこととして沈黙を守ったといわれる。大乗仏教にあっても、中観派などは、三千世界つまり過去、現在、未来すべての世界は、本質的に空であると否定し、世界像の構築に関与しなかった。
仏教が世界の構造の問題に、積極的に発言しはじめたのは、4あるいは5世紀ころに活躍したヴァスバンドゥー(世親)の『倶舎論』である。ここで仏教独自の世界像が想定され、その構造について、以後、煩雑な議論が繰り返される。『倶舎論』の中で取り上げられた須弥山の思想は、仏教のもつ宇宙観の投影とみてよい。しかしこの時代には、まだその宇宙観を具体的な形をもって表現するところまで到達していない。
7世紀頃になると、仏教徒はそれぞれの抱く宇宙観の中に、数多くの神がみと大乗の菩薩たちを含め、それらを一つのパンテオンとして視覚化していくのである。それが曼荼羅である。
曼荼羅はそれ自体、仏教徒の抱く世界観を具体的な姿として図像(イコン)化したものである。したがってそれは仏、菩薩の単なる集合体ではなく、その中に仏教思想による意味づけと、独自のシステムを持つものでなければならない。
このような意味において、最初に作りあげられた曼荼羅は、7世紀ころにできた胎蔵曼荼羅であるといってよい。それは従来、大乗仏教で信仰されていた仏、菩薩をほとんど包摂するとともに、異教の神がみから返信した忿怒の明王や諸天、さらに星宿や鬼神にいたるまでを13のセクションに配分したものである。それは仏教コスモスの最初の壮大な具像化と、受け取るべきであろう。
曼荼羅は、聖なる世界の視覚化というだけにとどまらない。その中に、鬼神や精霊をも含めた現実の俗なる世界が二重映しに投影されている。この意味で、それは聖俗一体の世界像の縮図ということができる。カオスと共存する仏教的なコスモスの構図が形をとって、胎蔵曼荼羅の中に提示されている。」
(松長有慶『密教』145〜147ページ、岩波新書、1991年)

 
ここからもわかる通り、元々釈迦の仏教では四聖諦が重要であり、本来は世界の永遠性や有限性についての議論をしてはいませんでした。大乗に至って初めて世親が『倶舎論』で須弥山を中心とする世界観を述べ、密教曼荼羅によって世界や宇宙を語るようになります。しかしそれらは本来の釈迦の教えではないのです。
本来の釈迦の教えは、宇宙や生命の永遠性を説くものではありません。それを「無記」として語らず、四聖諦を見つめるように示唆したのが釈迦でした。それが大乗仏教運動の一部によって歪曲され、真言密教により「曼荼羅」という世界観として語られるようになり、正当化されるに至ります。
 
 
参考文献
松長有慶『密教岩波新書、1991年