気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

たまには自分の思いを。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて私がこのブログを始めたのが2016年ですから、開設して7年目になろうとしています。
その間、私も非活から退会を選んだり、一度はブログも閉鎖したりといろんなことがありました。退会してもブログ名を変えるのは読者の便に供さないと思い、あえてブログ名は変えないで置いてあります。
 
一度はやめようと思ったブログです。そもそも2016年から2017年頃の記事を読めばわかると思いますが、本当に気楽な口調で書いています。私は気楽に少しずつ研鑽を深めながら、自分なりに罪深い創価学会大石寺信仰の半生を総括したかったのです。
ですから当初は単に自分のためのブログでした。それが今や総アクセス数は340万をはるかに超え、読者登録数も200人を超えました。もちろん「はてなブログ」はランキング上位には大変な数の読者登録数を持つブログもあるので、私のブログなど微々たるものです。しかしそれでも単なる個人が書いたブログとして、反響の大きさに自分自身が驚いているのです。
 
 
私のブログ記事の執筆には、実に多くの協力者がいます。創価学会の退会者、非活メンバー、一部の活動家、日蓮正宗の離檀者や棄教者、宗教関係者、創価学会本部職員の一部、宗教ウォッチャー、元広宣部員、僧籍にある一部の出家者の方々……実に多くの方の協力を得ています。いつもありがとうございます。
同時に最近は、Twitter(現X)等で嫌がらせ行為も多発しています。誹謗中傷行為、なりすましアカウント、誹謗中傷メールや他ブログへの誹謗コメント……あまりに悪質なものも少なくないため、運営当局に通報してブログ記事にも書いたところです。名誉毀損で何らかの法的措置もさまざまな方に進言されているところなので、その辺は慌てずに相談しながら相手の外堀を埋めていきたいとは考えています。
 
 
協力者もいるとはいえ、原則このブログは私個人が一人で書いています。
最近は昔より更新頻度も減ったとはいえ、気楽にマイペースに書き続けていきたいとは思います。誹謗中傷行為に明け暮れるアカウントがどういうつもりで攻撃をしてくるのかは知りませんが、何を言おうと私が個人で書くブログを止めることはできないのです。
 
 
そもそも創価学会日蓮正宗という教団はそれなりに大きく、社会的にも影響力を持った宗教法人です。それらの教団が私個人のブログになぜ惑わされなければならないのでしょう。
あり得ないことですが、万に一つで私のブログ記事を教団が気にしているとすれば、たかだか個人のブログに教団が振り回されてしまっていることになりますから。
 
私は私を口汚く罵る創価学会日蓮正宗信者のSNSアカウントの人たちが、実は組織内では信頼される信者だったり、指導的な立場にあるということは可能性としてあり得ると思っています。人間は二面性を持つものですし、組織に自身の生きる意味を見出している宗教の信者たちの多くが宗教的正義の名の下に他者を平気で誹謗中傷できる集団に変貌することは、この目で私が見てきたことです。人を狂わせるものは悪ではなく自身の正義感なのですから。
 
 
そういった人たちが自身の依拠すべき教団を根底から否定されたと感じ、私のブログを罵ることが起こります。彼らには原理主義的に硬直化した「正義感」しかないのです。
しかし大切な視点は、自分の頭で考えて自身で結論を出すと言うことです。教団の担保する正統性に寄りかかって自分たちが正しいと言い張るなら楽なことですけど、次第に人は考えることのできない人間になってしまいます。
私が力がないなりに非活時代からやってきたこと、そしてブログで今になって改めて主張したいことは、教団の提示する教義を無検討に信じ込むことをやめて、自分の目で現実を見て自分の頭で考えると言うことなのです。
 
私のブログがそのための一助になるのかはわかりません。ただそんな読者の便に供するためにも「読みやすい」「わかりやすい」ブログでありたいとは考えています。
私は理解力が弱く、明確に自分がわかったことしか書きません。それ故に浅薄な理解でしかないことを自覚しています。
逆に私の強みは、明確にわかったことにはそれなりに普遍性があるということです。曖昧な議論でケムに巻くことを私は好みません。
私の今の願いは、私のブログ記事を通じて教団の欺瞞に一人でも多くの方が気づき、その嘘を棄てて自分の頭で考える人が増えることなのです。
それらの人が創価学会から日蓮正宗顕正会へと至るだけの単なる宗教サーフィンに走るだけなら、真の意味で私のブログを読んだことにはならないでしょう。
 
一人でも多くの方が自分の頭で考え、自身の力で答えを出すことです。それらの人たちが増えることこそが一番大切なことだと私は思っています。