気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺9世日有・31世日因は「法主も謗法を犯すことがある」ことを認めていた。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は大石寺9世日有が謗法を犯したことで自身が悩まされていたことを告白していたことを書いてみます。
 
 
大石寺9世日有談・31世日因記『有師物語聴聞抄佳跡』には次のように書かれています。

「されば四五年已前に悉且ノ能化・阿耨と云フ僧に知音候て・且ラく当山に逗留候ひしが、有ル時・呉竹を一間所望する間・大なる間を一ツ出シたれば・やらうに作る、其の夜より天魔乱入して悪夢増長す・如何様なる事ぞと能ク々ク案じたれば・当宗の即身成仏と進メ申ス我レが・禅家の道具たる・やらうを作らせたる故なり、去れば経ニ云ク捨悪知識亦不親近と説キ給ふ・釈ニは悪人に親近すれば復悪人と成ツて悪ノ名天下に満ツと見えたり」
(『有師物語聴聞抄佳跡』、『富士宗学要集』1-198ページ)
 
 
阿耨という名の僧侶が大石寺に長く逗留していたのですが、ある時、阿耨が呉竹を望むので日有がこれを与えたところ、彼はその呉竹で禅の道具である「やろう」(薬籠)を作ったのだそうです。すると日有のところには、その日の夜から二晩に渡って天魔がやってきて、日有は悪夢に悩まされてしまいます。日有はこのことをここで「悪人に親近した罪である」としているのです。
これに関して大石寺31世日因は「日有上人御自身の謬を挙げて・以て末弟の謗罪を誡る者なり」(同198ページ)と述べ、また「是レ薬籠を造らせたるは大謗法なり」(同201ページ)としています。
 
 
つまり大石寺法主であっても謗法を犯す可能性があるということであり、そのことを大石寺9世日有、31世日因がきちんと認めていることになります。
このように大石寺法主は決して批判され得ない無謬の存在ではなく、謗法や罪を犯すことがあり得るということであり、そのことを大石寺の歴代法主たち本人が認めていたことになります。