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「『不動愛染感見記』は日興から日目に付属された」
「法華真言の用例」
つまり日蓮には、真言を後年批判しつつも真言の思想を摂取するアンビバレントな部分が存在していて、自身の思想中に真言を取り込んでしまっているのです。そのような矛盾を内包するのが日蓮の思想の一つの特色とも考えられるでしょう。それであれば、日蓮が後年まで曼荼羅本尊に不動明王と愛染明王とをきちんと真言の梵字で書いていることも説明がつきます。それにそもそも「曼荼羅」(日蓮は「漫荼羅」)という語は真言に由来する言葉で、法華経とは何の関係もありません。
さてそういうことを指摘すると、なぜか大石寺系信者(多くは創価学会より日蓮正宗信者が多いようです)が狂ったように反発してきて、日蓮は「台密から真言を取り込んだ」「東密ではなく台密だ」と言って日蓮の真言は空海由来ではないと主張される方がおられるようです。
本気で言っておられるのでしょうか?
例えば松永有見氏の「台密の教義及び歴史」(『密教研究』所収、9ページ、1924年)でも最澄の時期の台密はその教義的内実、教理は「詳らかでない」ことが述べられ、それが明確になってくるのは円仁からであることが指摘されています。
またそもそも最澄が自身の密教理解に不十分であり、その完成が円仁と円珍以降にあるとする見解は密教においても仏教界においてもほぼ共通の見解です。高野山の松長有慶氏も天台教学において円仁と円珍から「密教を重視する姿勢を鮮明に打ち出した」ことを認めています(松長有慶『密教』43ページ、岩波新書、1991年)し、また末木文美士氏も「天台宗においても密教が大きく進展する」「その流れは円仁・円珍を経て、安然によって大成される」(末木文美士『日本宗教史』56ページ、岩波新書、2006年)としています。
具体的に日蓮遺文を挙げてみましょう。例えば『諫暁八幡抄』(真蹟大石寺現存、異本真蹟は身延曽存)には明確に「円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども心は弘法大師の弟子」(創価学会旧版御書全集580ページ)と書かれています。
台密の教義的内実を決定したのは円仁と円珍です。それでもなお一部の大石寺系信者たちは、「日蓮は『台密』によって不動愛染を書くことは認められたのだ」とするのでしょうか? 台密を認めることは円仁や円珍の思想を認めることと同義なのです。
最澄の思想として遮那業を認めるなら、最澄が遮那業の根本とした『大毘盧遮那成仏神変加持経』(『大日経」)を認めることになりますが、大石寺は日々の勤行唱題と並行して『大日経』も読誦し、密教の修行でも行なっているのでしょうか?
日蓮の思想には真言批判をしながらも、なぜか真言の教えを自身の教理に摂取してしまう、アンビバレントな部分が存在します。それを単に認めればよいだけなのですが、無理にこじつけて自宗を正当化しようとすればするほど、奇妙な自己矛盾が露呈してしまうことに大石寺系信者さんは気がついた方がよいかと考えます。
参考文献
木内央「伝教大師における遮那業」『印度学仏教学研究』27号所収、1965年