いつもみなさん、ありがとうございます。
日蓮真蹟の本尊にはほとんどこれが書かれているのです。
10番、船中楊枝本尊、文永11年3月15日?
19番、文永11年?正月日
21番、文永12年卯月日
22番、文永12年卯月日
23番、文永12年卯月日
28番、玄旨伝法本尊、建治元年12月日
29番、今此三界本尊、建治元年?
47番、病即消滅本尊、弘安元年3月16日
66番、日仰優婆塞授与、弘安2年9月日
90番、今此三界本尊、弘安3年?
真言を批判しながら、なぜ真言の梵字で不動明王や愛染明王が書かれるのかは、日蓮の矛盾です。こういう部分に日蓮の真言に対する態度のアンビバレントな部分が現れているのかと思います。以下の記事で書いたように日蓮の真言批判は何ら論理的ではないのです。
文永期以降、確かに大日如来の勧請は見られなくなります。しかしながら日蓮が生涯にわたって曼荼羅本尊図顕の際に不動明王と愛染明王とを真言の梵字で書いていたことは間違いありません。しかも不動明王も愛染明王も法華経には何の関係もありません。法華経に出てもこない密教の神仏をなぜ日蓮が生涯にわたって曼荼羅本尊に書き続けなければならないのでしょう? さらに言えば「曼荼羅」という語は本来真言由来の語です。