気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

承久の乱への疑問から真言批判へ転ずる。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私はこのブログで度々、日蓮真言摂取、真言の影響を述べています。



「法華真言の用例」

日蓮真言の摂取」



ところで、そのような真言の徒でもあったはずの日蓮が、なぜ後年に真言批判に入るのかというのが疑問になります。
日蓮真言批判に入るきっかけは、承久の乱への疑問なんですね。
詳しくは以下の記事をご覧ください。


承久の乱について」


日蓮がまだ生まれる前のことですが、承久3年(1221年)に後鳥羽上皇が幕府の2代目執権北条義時を「朝敵」と宣言して挙兵します。
結果として後鳥羽上皇方は敗北。上皇隠岐流罪順徳天皇佐渡流罪になります。



『神国王御書』(真蹟:京都妙顕寺)の中で日蓮は、天皇という身分の高い者が流罪になることへの疑問を述べています。詳しくは上記記事に書いたので当該記事を見てほしいのですが、八幡信仰をしていた鎌倉幕府方、またともに法華経を信じていた源氏方に対して、真言の秘法を用いた天皇が負けたことで、日蓮真言を「亡国」の教えと断ずるようになるのです。



「而るに日蓮此の事を疑いしゆへに幼少の頃より随分に顕密二道・並びに一切の経を・或は人にならい・或は我れと開見し勘へ見て候へば故の候いけるぞ、我が面を見る事は明鏡によるべし・国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず、仁王経・金光明経・最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を聞き見奉り候に・仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く・又仏法に付いて国もほろび・人の寿も短かかるべしとみへて候、譬へば水は能く船をたすけ・水は能く船をやぶる、五穀は人をやしない・人を損ず、小波小風は大船を損ずる事かたし・大波大風には小船をやぶれやすし、王法の曲るは小波・小風のごとし・大国と大人をば失いがたし、仏法の失あるは大風・大波の小船をやぶるがごとし国のやぶるること疑いなし」
日蓮『神国王御書』創価学会版御書1521ページ)



日蓮は幼少の頃から顕密の二つの教えを自ら学び、また人から学んできたといいます。その上の結論として日蓮は「国家の盛衰は仏教上の失に依る」のだと考えるようになるのです。
この『神国王御書』は建治元年の述作とされますから、佐渡流罪以降の時期、日蓮はこのように真言を「亡国」の教えと捉えるようになるのです。
同じく建治元年の『撰時抄』を見てみましょう。



「但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが調伏せられ給し権の大夫殿はかたせ給い、後鳥羽院隠岐の国へ御子の天子は佐渡の嶋嶋へ調伏しやりまいらせ候いぬ、結句は野干のなきの身にをうなるように還著於本人の経文にすこしもたがはず叡山の三千人かまくらにせめられて一同にしたがいはてぬ、しかるに今はかまくらの世さかんなるゆへに東寺・天台・園城・七寺の真言師等と並びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人人・関東にをちくだりて頭をかたぶけひざをかがめやうやうに武士の心をとりて、諸寺・諸山の別当となり長吏となりて王位を失いし悪法をとりいだして国土安穏といのれば、将軍家並びに所従の侍已下は国土の安穏なるべき事なんめりとうちおもひて有るほどに法華経を失う大禍の僧どもを用いらるれば国定めてほろびなん、亡国のかなしさ亡身のなげかしさに身命をすてて此の事をあらわすべし」
日蓮『撰時抄』同282〜283ページ)



ここからわかることは、日蓮は「国家の盛衰は国家が奉ずる教えの正統性に依る」と考えたということであり、ここから真言を「亡国」の教えと考えて、法華経中心の祭政一致国家を理想として描き、そのために国家諫暁をするようになっていくのです。



「純粋な日蓮の思想を考えると」