いつもみなさん、ありがとうございます。
さて前回の記事で、日蓮の純粋な思想について概ね4点についてあげてみました。
1、日蓮は大前提として日本古来の神道を深く信奉しており、天照大神や八幡大菩薩の加護を深く信じていた。
2、日蓮は国家の奉じる宗教に法華経を用いるべしと考えており、かつて比叡山が国家権力と結びついたのと同様に、自身が国家に重用されて加持祈祷を行うべきだと考えていた。したがって「折伏」とは国家権力としての「賢王」が行う行為であり、僧侶となって法を弘持するのは僧である日蓮の役目となる。
3、このような極端な国家主義ともいえる日蓮の思想は、儒教の影響を強く受けており、とりわけ『貞観政要』における帝王学が日蓮の行動原理の一つになっていることは諸御抄から推察できる。
4、比叡山の再興を願う日蓮の法華経解釈は、基本的に中国天台宗の教義を原則としており、とりわけ妙楽湛然の影響が強い。また法華経そのものの解釈も天台の影響が強く、法華経の読解も道元などと違って、自身の教義のために解釈する、曲解の要素が強い。
日蓮は『新尼御前御返事』(身延曽存)において、源頼朝が天照大神を奉ずる心が強かったゆえに将軍になったことを認め、評価しています。法華経信仰と同様に日蓮が重んじたものこそ天照大神に対する信仰心、神道なのです。
「天照大神は東条の郷に住まう」
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2019/01/05/000000
このような神道を重んじる心があったからこそ、曼荼羅本尊には「天照大神」と「八幡大菩薩」が書かれています。両者とも法華経には全く出てきません。それにもかかわらず、勧請されているのです。
そして日蓮の純粋な弟子である日興も、師と同じく天照大神を奉じていました。日興の『三時弘経次第』には以下のように書かれています。
「天照大神勅曰 葦原千五百秋之瑞穂之国。是吾子孫可王之地也。宜爾就而治焉。行矣。寶祚之隆当與天壌無窮。」
日興本人がここで『日本書紀』由来の葦原中国平定を史実として採用し、それを日本国の正史として捉えていることがわかります。「瑞穂之国」とは『日本書紀』における日本国の美称のことです。
また日興本人は永仁6年(1298年)2月に「本化垂迹天照大神宮」を北山に建立しています。このことは大石寺9世の日有も『化儀抄』で認めています。
また日蓮は、承久の乱において、後鳥羽上皇が挙兵に際し、41人の高僧を呼び、戦勝祈祷の十五壇の秘法を用いて調伏した結果、戦に敗れ、隠岐に流された事実をもって「上皇方を勝利に導かなかったのは用いた法が亡国だったからだ」とし、既成宗派への批判を開始します。根底にあるのは「国家は正しい教えを持つ僧侶を用いるべきだ」という儒教の考え方です。だからこそ日蓮は国家への諌暁を行い、弟子の日興も日目も国家への諌暁・天奏を行ったのです。それゆえ日蓮の描く理想の国家とは祭政一致国家、すなわち政教一致の国家です。
『神国王御書』(真蹟:京都妙顕寺現存)には以下のように書かれています。
「されば神武天皇より已来百王にいたるまでは・いかなる事有りとも玉体はつつがあるべからず・王位を傾くる者も有るべからず、一生補処の菩薩は中夭なし・聖人は横死せずと申す、いかにとして彼れ彼の四王は王位ををいをとされ国をうばはるるのみならず・命を海にすて身を島島に入れ給いけるやらむ、天照大神は玉体に入りかわり給はざりけるか・八幡大菩薩の百王の誓は・いかにとなりぬるぞ」
(創価学会版御書全集1519〜1520ページ)
また『真言見聞』(真蹟不存、民部日向『金綱集』に引用あり)には以下のように書かれています。
「承久の兵乱の時・関東には其の用意もなし国主として調伏を企て四十一人の貴僧に仰せて十五壇の秘法を行はる、其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行わる七日に満ぜし日・京方負け畢んぬ亡国の現証に非ずや」
(同142ページ)
そして日蓮の思想には『貞観政要』の影響が強いことも、諸御抄から推察できます(事実、日蓮自身が書写した『貞観政要』真蹟が北山本門寺に現存しています)。祭政一致国家の調伏を担当する正統な僧侶は日蓮自身であるという自覚に立ち、為政者を諌め、正しい法を国家が奉戴する時、立正安国の世界が現出するという考え方が日蓮の純粋な思想でしょう。
そして日蓮は晩年の『撰時抄』(真蹟:玉沢妙法華寺に現存)で、他宗派への弾圧を公然と述べるようになります。
「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」
(同287ページ)
ここで注意したいことは、日蓮は出家者ゆえに人を殺めることが宗教上できません。日蓮が述べているのは為政者に対して「他宗派の罪深い念仏者等を斬刑に処すべきだ」と進言しているのだということです。
だからこそ日蓮にあっては「折伏」という語は本来「布教」のニュアンスで用いられていないのです。
「『摂受』と『折伏』について」
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/07/23/000000
上記の記事にも書いたことですが、日蓮の認識する「折伏」とは武力・暴力の介在を容認するものなのです。そしてそれは出家者には許されません。したがって日蓮の考えとは、出家者の役割はその卓越した人格によって「折伏を間接的に出現させる存在」であり、「折伏を直接に行う存在」は、神仏や為政者なのです。
『観心本尊抄』(真蹟:中山法華経寺)では次のように書かれています。
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」
(同254ページ)
したがって日蓮にとっての「折伏」とは、「賢王」すなわち為政者が「愚王を誡責」すること、すなわち処罰することなのです。
上に述べたような、これらの「日蓮の純粋な思想」を純粋に行うとどうなるでしょうか。
祭政一致国家の樹立、天照大神宮の創設、政府による他宗派の公然たる弾圧…………、これら全てが現代ではほぼ無効であることは誰の目にも明らかであると思います。このことを純粋に行おうとした教団は恐らく国柱会であり、現代では顕正会の教義に近くなるかと思います。まあ、もっとも顕正会は神社参拝など決して認めないでしょうけど(笑)。
私は上記のような日蓮の思想の事実を知り、正直なところ辟易しました。
創価学会や大石寺のように、日蓮の思想でも何でもないものを日蓮にとってくっつけて「宇宙の生命の法」とか「弘安2年の戒壇本尊」とかわけのわからないことを述べているのも辟易ですが、正直なところ、こんな国粋主義的で儒教のメンタリティに彩られた日蓮という人の思想にも御免蒙りたいところであります。