いつもみなさん、ありがとうございます。
さて少し前の記事で、日興『宗祖御遷化記録』に遺された
日蓮の遺言には「釈迦立像」と「注
法華経」のことが書かれていることを述べました。
ところで、後世に残すように指示された『注
法華経』について、
創価学会や
大石寺系信徒はほとんど何も知りません。
日蓮門流なのに「注
法華経」の存在さえ知らない人が少なからず存在します。
では「注
法華経」とは何でしょうか。私にはあまりに自明のことだったので、気にも留めていなかったのですが、「注
法華経って何ですか?」という質問が多くあるので、少し書いてみようと思います。
注記は主に天台教学関係、智顗や湛然の釈を中心に、華厳や
真言など2,000以上の要文を書き入れていますが、
日蓮本人の解釈は加えていません。
この『注
法華経』の成立年代ですが、立教の比較的初期に書かれながら、
佐渡以降の弘安期、身延以降にも更に注記されているので、
日蓮が生涯にわたってこの『注
法華経』を書いていたことがわかっています。
経論釈の要文を書写し、研究の糧としていく
日蓮の勉学のあり方は、
日蓮の修学期から身延の時期まで一貫したものであり、典籍の収集も困難な当時の時代背景の下、手に入る経論釈要文を生涯にかけて注記して学んでいく、
日蓮の真摯な学びの姿勢が窺えます。
ところで、
創価学会や
大石寺系教団の信徒たちは、この『注
法華経』で何が書かれているのか、ほとんど全く知りません。
純粋で正統な
日蓮の末流を自称するなら、せめて『注
法華経』の要文、その経論釈は
日蓮にあってはどのような意図で書かれたものなのか、きちんと提示し、その考えを示すべきであると思うのですが、
創価学会や
日蓮正宗のような
大石寺系教団は、
日蓮が生涯にわたって研鑽し続けた『注
法華経』と、そこに込められた宗祖の思いについて、何も感じない人たちのようです。
参考文献
関戸堯海「
日蓮撰『注
法華経』成立に関する
私見」、『印度学仏教学研究』第52巻第1号所収、平成15年12月。