気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

学ぶこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、日蓮遺文にせよ、法華経にせよ、私は活動家時代によく読むのが好きでした。
「幹部はそう言っているけど、本当のところはどうなんだろう」ときちんと確認をしたかったんですね。
まあ、そんな人間だったからこそ、広宣部・言論企画局に引っ張られ、大石寺系教団対策と諜報活動に暗躍することとなるのですが。



ところで、今も昔も、創価学会にせよ法華講にせよ妙観講にせよ、また顕正会にせよ、信徒にきちんと教学を学ばせるという感覚が教団側にはありません。



教学を学んでいると「二乗根性」だとか「この信心は理屈ではわからない」とかそんなことばかり言います。つまり教団内で教学を学ぶことはあまり喜ばれないし、推奨されないんです。喜ばれるのは結局のところ布教数とか、勧誡信徒の数とか、選挙の票数とか、そんなことばっかりなんです。
活動報告といえば、必ず挙げられるのは「布教の実績」「新聞販売の実績」そんなことばかりです。
教学を学んでも功徳は出ないと言わんばかりです。



「二乗根性の人は成仏できない」なんて言われたこともありますけど、法華経って二乗の人たちの成仏が約束された経典なんじゃなかったんでしたっけ?(笑)
そんな基本的なことさえ、幹部は理解できないんです。
まあ、要するに教団の教勢拡大に利さないような活動は敬遠されると言うことなのでしょう。



個人的に思うことですが、信仰と言うものは求めることなのであって、学ぶことと表裏一体なのだと思っています。
「菩薩」と言う語は「ボーディ・サットヴァ』の音写であって、意味は「悟りを求める心を起こす者」のことです。
求めること、学ぶことが失われれば、それはもはや信仰ではなく、単なる妄信に過ぎないのだと思います。



私は活動から遠ざかった後、創価学会を退会しました。このブログを書くようになり、日蓮信仰からも法華経信仰からも離れました。今は龍樹の『十住毘婆沙論』等を根拠に、念仏の信仰を個人で深めています。ただあまりこのブログの趣旨に沿わない内容も多いので、ここの記事では、かつての大石寺系教団の教義や歴史について主に扱うようにしています(たまに脱線もしますが)。



学ぶことが失われている……そのことを示して余りあるのが、創価学会員や法華講員の教学力の低下です。とりわけ創価学会員の教学力の低下は目を覆うばかりで、まともに古文が読めない人たちを大量生産してしまっています。
法華経も読めない、経典も意味がわからない、日蓮遺文も内容を知らない、開目抄の内容がわからない、何が書いてあるか読めない、読もうとしない…………。
それで本当の「信仰者」なんですかね。



というか、教団の宗祖は誰なのかということです。
宗祖がもしも仮に釈迦なのであれば、経典を読むべきですよね。なのに経典が読めない。
宗祖が日蓮なのであれば、日蓮を読むべきですよね。なのに日蓮を読まない。
日蓮は『撰時抄』で次のように書いています。



「竜樹菩薩の云く『修多羅に依れるは白論なり修多羅に依らざれば黒論なり』天台の云く『復修多羅と合せば録して之を用ゆ文無きは信受すべからず』伝教大師云く『仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ』等云云(中略)経論の文こそたいせちには候はめ」
創価学会版御書全集281〜282ページ)



仏説を根本とすべきだと日蓮は書いています。ただ日蓮の生きた時代、大乗経典は非仏説とされていませんから、日蓮自身が生きた時代の思想的限界はあります。
しかしながら、もしも大石寺系教団が言うように、日蓮を本仏とするならば、なぜ日蓮遺文が読めない状況、古文さえ読めない状況を教団が手放しで放置しているのか、理解できません。
もし日蓮ではなく釈迦を本仏とするなら、それこそ経典を読まないといけない。「仏説に依憑して口伝を信じてはいけない」と日蓮最澄を引用して述べていますからね。日蓮にあっては「経論の文こそたいせちには候はめ」なのですから。



私は若い頃から少しずつ日蓮遺文も法華経も読んできました。周りの会員にそんなことをきちんとやっている人はいませんでした。
私の理想は私の父でした。父は大石寺系教義に詳しく、日寛の六巻抄や文段もきちんと読んでいました。昔の会員にはそういう人たちが確かにまだいたように思います。実際、昔の教学試験の範囲を見ると、御書全編に通じ、富士宗学要集や六巻抄さえ普通に学ばれていたはずです。



それがいつの間にか学ばれないようになった、そして「学ぶ」ことが軽視され、「学ぶ」人たちは実質的に教団の蚊帳の外に置かれるようになった。それが創価学会妙観講さんたちの実態なのではないかと思います。
学ぶこと、求めることなくして、信仰は存在しないと私は思います。