いつもありがとうございます。
あまりご存知でない方のために書くと、『二箇相承』とは『池上相承書』と『一期弘法付嘱書』の二つからなる一連の文書です。1282年(弘安5年)に日蓮から日興に託されたとする2通の文書を『二箇相承』と呼んでいます。
創価学会版の御書ですと1600ページに掲載されています。
内容を少し書いてみましょう。
①『日蓮一期弘法付嘱書』(身延相承書)
国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と云うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日
日蓮花押
血脈の次第日蓮日興」
②『身延山付嘱書』(池上相承書)
弘安五年壬午十月十三日
日蓮から日興に教えが相承されたとする内容になっていますが、その内容から多くの疑義が提出されています。
例えば日付の問題です。『池上相承書』の写本には日付は「九月 日」とあり、日付が記載されておりません。
ところで、この『二箇相承』に言及した最古の文献は左京日教の『類聚翰集私』(1488年)ですが、ここで日付は「弘安5年9月13日」になっています。
そしてさらに根本的な問題は、この書が北山本門寺に伝わっていたという歴史的な事実の方です。
そもそも日興は日目に法を付嘱して後に重須に移りますが(1298年2月15日)、この時に『二箇相承』を日興がなぜ大石寺に残さず、日目に与えていかなかったのかが不自然です。