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創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『二箇相承』写本の誤字。

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いつもみなさん、ありがとうございます。


さて今日のテーマは『二箇相承』の写本についてです。



日蓮から日興への唯授一人の相承があったと主張する際によく大石寺が引き合いに出すのがこの御書ですが、そもそもこの『二箇相承』は北山本門寺に伝えられていたものであり、仮にこの書を真蹟と考えれば日蓮日興の血脈は大石寺ではなく北山本門寺に伝えられていたことになろうかと思います。


「『二箇相承』のこと」


加えて今回指摘したいのは、写本の誤字についてです。
冒頭の画像は西山本門寺に現存する弘治2年(1556年)、京都要法寺日辰の写本です(正確に言いますと、要法寺日辰がその場で弟子の日耀に臨写させたものと言われています)。
ところでこの日辰本では画像で示した通り「身延山」と書くべきところが「身遠山」となっており、これは単なる書き間違いと考えられています。事実、公開されている住本寺日教本では正しく「身延山」と書かれています。


ところが大石寺14世日主(在位1573〜1586年)による写本ではこの「身延山」が日辰本と同様に「身遠山」と書かれていることを大石寺側が認めています。これについて大石寺は「元の写本が『身遠山』だった可能性がある」としています。



ただ私などからすれば、日教本(1480〜1489)や日現本(1516)と「身延山」と書かれていることから考えても、大石寺日主が日辰と同じ書き間違いをするのは考えにくく、大石寺日主は北山にあったとされる"原本"ではなく単に日辰本を転写したと考えた方が自然なのではないでしょうか。