気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

教団に都合の良い遺文しか知らない。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、最近の創価学会にせよ、大石寺にせよ、日蓮の遺文を語る時、平気で真蹟不存・偽書説濃厚の御書を持ち出して語ったりします。
やれ『御義口伝』だの『生死一大事血脈抄』など、創価学会信徒さんはお気に入りのようですが、どれもこれも偽書説濃厚なものばかりです。



ところでそんなことを言うと「偽書説濃厚と言うけれど、日蓮の心が説かれているのなら、それは用いるべきなのだ」などと訳の分からない反論を述べる方も私の周辺にはかつていらっしゃいました。反論にもならない噴飯ものの議論でしかないのですけどね。



そこまで開き直るなら、それでも構いませんが、創価学会信徒さんはあまりに知らない御書が多すぎませんか?
日亨版に未収録で、真偽未決の遺文なんて山ほどあるではありませんか?
例えば『授職灌頂口伝抄』とか、創価学会信徒さんはちゃんと知っているのでしょうか。

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「『授職灌頂口伝抄』なんて見たことも聞いたこともない」なんて人ばかりなのではないでしょうか。
例えば他にも『行者仏天守護抄』とか知っているんですかね。

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「そんな御書、見たことも聞いたこともない」創価学会信徒さんがほとんどなのではないでしょうか。
自分たちの教団に都合の良い遺文だけを読まされて、それをあたかも日蓮の思想のように思い込んでいることを他宗派から失笑されている事実を、もっと創価学会信徒も大石寺の信徒も知った方が良いかと思います。かつての自分もそうでしたが、そういう偏屈な教学しか知らない姿が、まさに「井の中の蛙」だと私は思います。