ところが、この『百六箇抄』の内容がトンデモない眉唾ものなんです。はい。
創価学会もかつて「百六箇抄講義」なんてのをやって、やたら有り難がった時期がありましたけど、今はすっかり忘れ去られて、なかったことにしたいみたいですね。
でもね、きちんとそのへんも総括しないと創価学会は教義的にまずいと思うんですよね。
例えば創価学会でよく使われる指導で「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」という御文がありますけど、これは正しく『百六箇抄』の文章です(学会版御書の856ページにあります)。
この点で突っ込まれたら末端の会員さんはなんて答えたらいいんですかね。未だに創価学会は『百六箇抄』を真蹟と判断して依文としていると答えるんですか?
具体的な『百六箇抄』の問題点、矛盾点はいくつも存在します。その中でも本日の投稿では「経巻相承・直授日蓮」をとりあげてみます。
「或は又末代において経巻の相承直授日蓮と申して受持知識相承を破らんが為めに元品の大石・僧形と成つて日蓮が直弟と申し狂へる僻人出来し予が掟の深密の正義を申し乱さんと擬すること之れ有らん、即ち天魔外道破旬の蝗蟲なり上首等同心して之れを責む可き者なり。」
という文が『百六箇抄』にはあります。
彼は日蓮門流の分裂を慨嘆し、『経巻相承・直授法水』すなわち「法華経や日蓮の御書から直接教えを相承する」という教義を掲げました。考えてみると「御書根本」とか「信心の血脈」なんて言っている現在の創価学会の教義とさして変わらないように思えます。
日什は元は天台の学僧であり、彼は諸国を行脚する中で会津で富士門流と出会い改宗します。ところが後に日什は富士門流の欺瞞に気づき、批判するようになります。彼の「経巻相承」という考え方もここから出てきたものであって、直接に日蓮の文献にあたり、そこから真実の信心を得ていこうとする考え方です。
日興と日目が亡くなるのは1333年です。第2祖と3祖が亡くなってからも50年以上が経過しています。
まあ日蓮正宗の方は「経巻相承・直授日蓮」は「大聖人様の深深のお考えがあってのことです!」「我々信徒には及びもつかないお考えがあったはずです!」なんて強弁するのかもしれませんけど(笑)、みっともないからやめたほうがいいですよ〜☆
しかしこれに対する反論もあって、例えば引用の「経巻相承」の部分は後世の加筆であって日蓮真筆ではないと言う人もいます。
そう、その反論、待ってました!(笑)
けれどもね、よーく考えてくださいよ。
そもそも血脈抄と呼ばれるようなこれら相伝書は、一般の目に触れられるものではなかったはずです。それらに加筆できる立場にあるのは、日興門流のそれなりの位置にある僧しか考えられないでしょう。
当時はとても深い内容だと思って講義を受講していたんじゃありません?
みーんな嘘です。こんなもん、日蓮が書いたものでも何でもありません。
日蓮が自分が死んだ後、100年後に誕生する教団のことを書くわけなんてないじゃありませんか? 予言だとでも言うんですかね。
本日は「経巻相承」の件だけをとりあげました。実はこの『百六箇抄』にはまだまだたーくさん問題点、矛盾点があります。
私は別に今回の「経巻相承」の件だけで、この御書を問題視しているわけではなく、問題点は実は山ほどあります。
続きはまた少しずつ書いていきますのでお楽しみに。日蓮正宗の方も全ての矛盾点、問題点についてきちんと認めるべきだと思いますよ。日蓮正宗は教義的には、日蓮系教団から失笑の的になっているということをもっと自覚すべきなのですからね。