気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

個人の信仰こそが現代の信仰。




いつもみなさん、ありがとうございます。



私は創価学会の活動一切から離れることを選びました。



私は青年部時代に元広宣部メンバーとして活動しました。顕正会妙観講との対論や大石寺やその末寺への潜入の活動に長く携わってきた一人です。



私は創価大学出身でした。本来は大学院に行きたいと思っていたところだったのですが、就職難や実家の経済難から断念せざるを得ず、就職を決めてから、母と同居して男子部として活動するようになりました。
そんなに優秀でもなかったのですが、本を読んだり勉強したりするのは好きでした。下手の横好きと言ったところでしょう。
だから逆に広宣部で、御書や大石寺の教学を学ぶことができるというのはある意味で楽しかったことは事実です。



今、私が地元で一緒に活動してきたメンバーは、方面や総県幹部になったり、また公明党の議員になったりしています。
あのまま私が非活を選ばず、活動家のまま壮年幹部に移行して圏幹部や県幹部になっていたら……そう思うと本当に非活を選んでよかったと改めて思います。
私の知り合いで、県幹部や広宣部を経験した人たちが公明党の地方議員で活躍していたりするのを知ると、本当に「ゾッ」とします。



優秀な方ほど、そのような方面幹部や公明党地方議員に引っ張られたりします。とりわけ創価大学出身者の活動家はその傾向が強いと感じています。
つくづく「私はそんなに優秀でなくてよかった」「私は早めに非活になっておいてよかった」と近年になればなるほど強く感じます。上に上がれば上がるほど組織から離れられなくなるものです。
公明党の地方議員になれば、もはや創価の繋がりからは離れられないでしょう。圏幹部や総県幹部、方面幹部もまた然りです。



私は両親を亡くし、創価学会との地域の繋がりを全て失いました。そのことが逆に幸いしたように感じます。
私は学生時代、弓谷照彦氏(元男子部長、学生時代は学生自治会中央執行委員長でした)等、その後に信濃町幹部になる多くの人たちと間近に接してきました。
私は創価学会本部職員にはなりませんでした。どこか本部職員になりたい気持ちが私にもなかったとは言えませんが、最終的に自分できちんと就職したいと考えるようになりました。



私はたくさんの優秀な方々を先輩にも後輩にも見てきましたから、抜き難い劣等感をどこか抱えていました。
だからこそ、卒業後に男子部になり、池田大作の手兵という意識でただただ活動に明け暮れることがそれなりに楽しかったのです。
男子部の先輩方はそんな私を絶賛してくれたので、自分の居場所を見つけられたような気になっていたんですね。
人は居場所を求めるものです。
私も居場所を求めて、かつては男子部に飛び込んだ一人だったのです。
今となってはそれがいかに愚かしいことであったかを自省する日々です。



創価学会から離れた者の一人として、今の活動家さんに伝えたいことがあるとすれば「一刻も早く創価学会組織からも日蓮正宗からも離れて!」ということです。繰り返しこのブログで述べている主張でもあります。
大石寺系教団はもはや歴史的な意義を失っています。それは地域のセーフティーネットであったり、コミュニティであったりしましたが、そんなものはもはや必要ありません。
私たちは功徳を必要となどしていませんし、成仏する理由もありません。
SNSでも強いコミュニティを形成することが十分可能な今日、どうしてわざわざしがらみの強い地区組織や末寺や檀徒の組織に所属しなければならないのでしょうか。



創価学会の地域組織に入ったところで、若手の壮年部40歳代が最も若いメンバーで、新しいメンバーは増えず、高齢化するだけの組織です。
大石寺に入ってもなぜわざわざ布教数の目標を総本山側から一方的に決められなければならないのでしょうか。
布教はしたい時にすればよいだけのことなのに、なぜわざわざ末寺の信徒に目標数を設定するのでしょう。
それが信徒の勤めだというなら、なぜ日蓮正宗は他宗門と違って僧侶自身が布教を率先してやらないのでしょう?
なぜ在家信徒にやらせるだけなのでしょうね。
自分たちでやれば良いではありませんか。



創価学会幹部にしても同じです。
聖教新聞の配達も営業も、民音のチケット販売も、書籍の予約購入も、広布部員の申し込みも全信濃町幹部が地方組織に入ってやってみたらよいのです。
一件一件家庭訪問して、新聞の営業をしたり、配達員を探すことの大変さを実感すればよいのです。
信濃町幹部はきっと信心も強いことでしょうから、地方の高齢化した人たちがやるより結果が出るんじゃないのでしょうか。
池田大作氏は少なくとも参謀室長や総務時代にそういう家庭訪問をよくやっていた筈ですし。
師匠を見習ってやってみれば良いのです。じきに創価学会の地方組織は疲弊して高齢化しますから、そうしないと回らなくなります。あとは外注でもしないと地方組織は動かなくなるでしょうね。



私は非活から退会を選び、個人で信仰を深めることで、自由な時間を得ることができました。
好きな時に寝て、好きな時に働いて、好きな時に必要なお金を使って、旅行をしたり、買い物をしたり、勉強をしたり、遊んだりすることができるようになりました。
創価学会大石寺に所属していた頃とは全然違います。今が一番楽しい人生の時だと私は感じています。



まめにブログ記事をあげるのは、苦でも何でもありません。はてなブログは予約投稿という機能があって、私は休みの日に1週間分程度の記事を休みの日に複数投稿してしまいます。あとは遊んで暮らすだけです。ストレスなど全くありません。
幸いなことに私は文献を読むことも文章を書くことも苦ではありません。ネットや古書店で史料を手に入れ、それを元に記事を書いてアップします。大学院には行けませんでしたが、みなさんの反応やアクセス数を見ると、毎日の研鑽がとても楽しいです。


どうか一人でも多くの人が創価学会日蓮正宗のような大石寺系教団の桎梏から早く離れて、自由な人生を楽しんでほしいと願っています。
私たちは教団に四の五の文句を言われるために生きているわけではありません。
今や、個人こそが信仰の真の単位となる時代になりつつあるのだと思います。