いつもみなさん、ありがとうございます。
その証拠に法華経を丹念に読めばよくわかることですが、法華経を広めたり、守護したりする功徳は、その人の死後、未来において達成されることばかりなのです。法華経の功徳は、法華経の原典に説かれる内容に依拠するなら、その場で与えられる功徳ではなく、未来において達成されるという予言ばかりなのです。
例えば法華経薬王品第23では法華経を如説修行した女性の功徳は、死後に阿弥陀仏の世界に直行することと書かれていますし、提婆達多品第12での龍女成仏は、未来における予言で仏になった姿を神通力で見せられるだけです。しかも龍女自身は成仏の姿を示す時に身体から男性器が生えてきて成仏するという表現がされています。表現を見るならそれは即身成仏とは言えません。
「法華経薬王品における臨終往生」
【序品第1】
【方便品第2】
釈迦がいきなり瞑想から醒め、仏の智慧は測ることもできないという諸法実相を語り出す。舎利弗が仏の方便という巧妙な知恵をたたえ、釈迦に三度にわたって詳しく話してほしいと懇願する。三度目の懇願の時に五千人の大衆が法華経の会座から立ち去る。その後、釈迦は「仏はただ一つの乗り物のために法を説く」と語る。
【譬喩品第3】
【信解品第4】
【薬草喩品第5】
【授記品第6】
釈迦は弟子たちに対して、未来世において彼らが仏になることを予言する。
法華経序盤の概要を簡単に書きましたが、舎利弗も須菩提も迦旃延も迦葉も目連も、全て遠い未来において「仏になるであろう」という予言を授けられただけなのであって、法華経のどこにも即身成仏など説かれていないのです。