気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

了玄院日精の在位の順番の相違。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私はブログで、公式には大石寺17世とされている了玄院日精が、実は18世であるという指摘を何度かしています。




大石寺を隠居した18世日精」


「日精は自身を大石寺『18世』と考えていた」



ところで、不思議なことですが、創価学会が昭和51年11月18日に発刊した『日蓮大聖人御書辞典』の「日精」の項で、ここでなんと日精はきちんと18世とされています。

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日蓮正宗歴代法主全書』第2巻の日精のページの表紙を見てみましょう。ここでは日蓮正宗側が日精を公式に「17世」としています。

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この奇妙な相違は何を示しているのでしょう。
創価学会教学部編の『日蓮大聖人御書辞典』の発刊は「昭和51年11月18日」です。
それに対して『日蓮正宗歴代法主全書』第2巻の発刊は「昭和49年10月12日」です。
創価学会の『御書辞典』刊行に関して、完成にあたり「日蓮正宗教学部に最終稿を見ていただき、御諒解を得ることができた」ことが、当時会長であった池田大作の序で述べられています(本文2ページ)。
昭和51年といえば、昭和52年路線の一年前で宗創和合時代にあたり、大石寺側から創価学会への批判は公式にはされていなかった時です。



ここから考えられるのは、以下の点です。



1、昭和49年時点で、大石寺は了玄院日精を「17世」としていた。

2、昭和51年、創価学会教学部による『御書辞典』で、日精は大石寺の「18世」であることが書かれたが、大石寺側はこれを容認・了承した。


つまり大石寺側は、日精が歴代の「17世」法主か、「18世」法主かについて、解釈の相違が見られ、それを「18世」であると提示した創価学会に対し、昭和51年に一度その解釈の相違を容認していることになります。