気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日精は自身を大石寺「18世」と考えていた。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺法主、日精についていろいろ書いていますが、私は日精を「大石寺18世」としています。
現在の日蓮正宗大石寺宗門は公式に日精を「17世」としています。しかしながら私はある時期から、日精は「18世」と考え、以降は必ず「大石寺18世日精」としています。



その根拠はいくつかあるのですが、まず先代の16世日就から日精が相承を受けたという文献的な証拠が全くないことです。
日精自身が書いた『家中抄』では寛永9年(1632年)11月に日就から相承を受けたと書いてあるのですが(『富士宗学要集』5-260〜261ページ)、そもそも16世の日就は寛永9年2月21日に亡くなっていまして、史実と噛み合いません。もし日精が言うことが正しいとするなら、日精は死人か幽霊から相承を受けたことになってしまいます。



日精が寛永9年に一度法主に当座したことから、彼を17世とする理由もわからなくはないのですが、それでも大石寺の48世日量は『富士大石寺明細誌』で日精を「第十八代」ときちんと書いて残しています。



「日精は大石寺の17世か、18世か。」



さらに加えて今回紹介したいのは先日の記事でも引用した日精の『当家相承之甚深之事』です。『日蓮正宗歴代法主全書』第2巻の当該ページを画像で紹介しますが、ここでは日精本人が自分できちんと「本山十八祖」と書いています。

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いろんな考え方があることは理解しますが、個人的に私が日精を大石寺の18世として一貫して呼称している理由はこの辺にあるということです。