いつもみなさん、ありがとうございます。
その根拠はいくつかあるのですが、まず先代の16世日就から日精が相承を受けたという文献的な証拠が全くないことです。
日精自身が書いた『家中抄』では寛永9年(1632年)11月に日就から相承を受けたと書いてあるのですが(『富士宗学要集』5-260〜261ページ)、そもそも16世の日就は寛永9年2月21日に亡くなっていまして、史実と噛み合いません。もし日精が言うことが正しいとするなら、日精は死人か幽霊から相承を受けたことになってしまいます。
「日精は大石寺の17世か、18世か。」
さらに加えて今回紹介したいのは先日の記事でも引用した日精の『当家相承之甚深之事』です。『日蓮正宗歴代法主全書』第2巻の当該ページを画像で紹介しますが、ここでは日精本人が自分できちんと「本山十八祖」と書いています。
いろんな考え方があることは理解しますが、個人的に私が日精を大石寺の18世として一貫して呼称している理由はこの辺にあるということです。