いつもみなさん、ありがとうございます。
さて以前にも少し書いたことですが、法華経は嘱累品第22で一度、虚空会が閉じられ、閉幕します。
「本来の法華経の構成」
「二処三会は存在しない」
ところが、薬王品をよく読めばわかるのですが、ここで「広宣流布」を委任されているのは「上行菩薩」ではありません。「宿王華菩薩」です。実は法華経中には「広宣流布」が「上行菩薩」に委任された文章というのは存在しません。大石寺教学を学んだ人からすると俄かには信じられないかもしれませんが、本当のことです。詳しくは以下の記事をご覧ください。
「広宣流布は誰に委任されたか」
以前、記事に書いたことですが、日蓮は天台教学の捃拾説を取り、薬王品以下の内容を意図的に曲解しているのです。
日蓮の法華経解釈が壮大な曲解であることは疑い得ないことなのですが、その理由として考えられるのは、比叡山再興を理想としていた日蓮からすると、捃拾説から「宿王華所伝の法華経・広宣流布」を無理矢理「上行所伝の法華経・広宣流布」と読み替え、その上行再誕を自身の法難の人生と結びつけてしまったということになるのでしょう。
追記
今の創価学会等の大石寺系教団に必要なことは、教学にせよ史実にせよ、真摯に事実を受け止めて学ぶ姿勢です。事実を知りながら、曲解された教義に固執したり、肥大化された名誉会長とか法主みたいな指導者に固執したりする、そんな信徒の姿勢を私は何度も見てきました。
それまでの自分の人生を否定するのは辛いことなのかもしれません。しかし私はそれをやってみました。今までの自分の信じてきたものが全て間違いだったと私は全て認めて、私はゼロから学んできました。その結果が今の私のブログです。