気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

『法華経』に書かれている宿王華菩薩への付嘱。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さてこのブログでは法華経について、中国仏教や日蓮の解釈に依らず、素直に読んだ考えをいろいろ書いています。
その中で創価学会日蓮正宗系の信者さんが最も感情的に反発される部分は以下の2点かと思います。
 
①『法華経』は上行菩薩のみに付嘱されてはいない。
②釈迦滅後の『法華経』の広宣流布上行菩薩ではなく、宿王華菩薩に付嘱されている。
 
まあ……感情的に反発したくなるのも元信徒としては理解できなくはないのですが、『法華経』に書かれていることなので仕方がない事実なのです。まだご存じでない方は以下のいくつかの記事を読まれると良いでしょう。
 
 
如来神力品で別付嘱はされなかった。」
 
如来神力品では付嘱がされていない。」
 
 
 
 
「薬王品・宿王華付嘱の曲解。」https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/06/06/000000
 
 
法華経如来神力品では上行菩薩のみに付嘱はされていません。神力品では「上行等菩薩大衆」に語りかけられますが読んでわかる通り上行菩薩一人に語られていません。そして付嘱のために『法華経』の功徳を語ろうとしますが、それを語り尽くすことはできないと述べられます。それが「若我以是神力。於無量無辺。百千万億。阿僧祇劫。為嘱累故。説此経功徳。猶不能盡。」の部分です。きちんと「説此経功徳。猶不能盡。」と書かれており「この経の功徳を説くも語り尽くすことができなかった」と認めているのです。これ以外に上行菩薩に釈迦が如来神力品で語りかけている部分は存在しません。違うと思われるなら『法華経』の別付嘱とされる如来神力品をきちんと読んでみてください。
 
そして『法華経』薬王菩薩本事品では明確に是故宿王華。以此薬王菩薩本事品。嘱累於汝。我滅度後後五百歳中。広宣流布於閻浮提。無令断絶。悪魔。魔民。諸天。龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也。宿王華。汝当以神通之力。守護是経。と説かれているのです。
読めば明瞭で、きちんと釈迦が「これ故に宿王華菩薩よ、この薬王菩薩本事品をもって汝に付嘱する」と述べています。そしてこの中で「広宣流布」と書かれています。「広宣流布」が釈迦の滅後に委任されたのは上行菩薩ではなく宿王華菩薩なのです。
鳩摩羅什以降の中国仏教は、嘱累品の位置を勝手に改竄し、この付嘱が「上行等大衆→宿王華」に委任された構図を意図的に見えなくさせてしまったのです。この改竄された中国仏教が比叡山流入し、日蓮ら鎌倉仏教の祖たちも誤解された仏教を真説と誤読してしまったということになります。
 
少し前置きが長くなりましたが、鎌田茂雄氏の『法華経を読む』(講談社学術文庫、1994年)における法華経の各品の要約から、ここに書かれたような事実がきちんと法華経に実際に書かれているという事実を紹介してみたいと思います。
 
 
まず如来神力品です。明確にここには「仏は、上行菩薩をはじめとする人々にお告げになられた。「仏の神力はこのように不可思議である。自分はこの神力によって無限の未来に向かってこのお経の功徳を説こうとしても、到底これを説き尽くすことはできない。」と書かれています(同333ページ)。

 
如来神力品には「上行等菩薩大衆」に「嘱累の為故に」「此の経の功徳を説く」と書かれています。それが「猶不能尽」として「できなかった」としているのです。
繰り返しになりますが、別付嘱とされる神力品中で、上行菩薩に嘱累をしようとした箇所はこの箇所だけです。それができなかったと認めているのです。しかもそれが語りかけられているのは「上行等菩薩大衆」であって、上行一人ではありません。この一事のみでも神力品を別付嘱とする天台教学は論理が崩壊しているのです。
 
次に薬王菩薩本事品です。鎌田茂雄氏の同著作から紹介してみましょう。
ここでも明確に「最後に仏は宿王華菩薩にこの「薬王菩薩本事品」を嘱累した。そして仏が入滅して悪魔がはびこる世の中になっても、この教えを広宣流布しなければならないと戒めた。そのため神通力によって『法華経』の守護を命じた。」とはっきりと書かれています(同360ページ)。どこにも上行菩薩とは書かれていません。

 
私がここで書いた宿王華菩薩への付嘱等の事実は、個人的な私見ではありません。明確に『法華経』中に書いてあることです。そして鎌田茂雄氏の著作を紹介しましたが、そこからもわかる通り、宿王華菩薩に広宣流布が委任されたことも明確に『法華経』に書いてあるのであって、そのことは素直に読めば誰でもわかることなのです。
それら書いてある真実を素直に読めないということは、宗教的なドグマに洗脳されていて、カルト的な教団教義のフィルターを通さないと何も読めなくなっているだけなのかと私は思います。教団が勝手に述べる中国仏教の曲解に固執するのではなく、自分の頭できちんと読んで考えることが大切なのではないでしょうか。
 
 
参考文献
鎌田茂雄『法華経を読む』講談社学術文庫、1994年