気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

偏頗を破却せしめて宜しく衆議を成すべし

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
さて大石寺開山の日興の死(1333年)から9年後の暦応5年(1342年)に、三位日順によって書かれた『誓文』には次のように書かれています。
 
「倩ら大聖富山二代の遺跡を撿するに・貴賤互いに偏執を懐き・所立亦た異義を存す、料り知りぬ一は是にして余は非なることを、恐くば皆着欲僻案の謂ひか、能聴是法者斯人亦復難の経文宛も符契の如し、濁悪中比丘・邪智諂曲と仏記豈に他宗に限らんや(中略)当家一味の師檀の中に大事堪え難きこと・出来の時は本尊を勧請し奉りて各判形を加へ、偏頗を破却せしめて宜しく衆議を成すべし、然らずんば後輩弥よ私曲を構へ人法共に断絶に及ばん」
(三位日順『誓文』、堀日亨編『富士宗学要集』第2巻、27〜28ページ)
 
これだけではわかりにくいので、簡単に通解してみましょう。
 
「富士山の日蓮大聖人、開山日興上人との二祖の遺された功績を拝するに、我が門流では僧侶たちの貴賤によらず互いに偏執を懐いては異義を唱えるようになった。真理は一つにしてそれ以外は誤りである筈が、恐らくは各人の欲や僻案に執着しているのだろうか。まさに「能聴是法者斯人亦復難」の経文が符契する状況である。「濁悪中比丘・邪智諂曲」との経文は他宗に限らないのである。(中略)当門流の僧俗信徒の中で今後重大な問題、教義上の異論で耐え難いものが出てきた際には、本尊の前で連署し、偏頗な考えを捨てて皆で議論をして決めていくべきである。さもなくば後世の者たちは更に偏った私見を持つようになり、人も法もともに断絶してしまうであろう。」

これを読むとまさに今の創価学会日蓮正宗顕正会等の富士門流間の浅ましい教義論争と分裂のことを言い当てているように思えてなりません。と、同時に大石寺等の富士門流諸山開山当時から、大石寺のみに伝わる血脈等の権威等が存在していたのではなく、「偏頗を破却せしめて宜しく衆議を成すべし」とあるように教義に関して皆で偏った私見を捨てて話し合って決めていくべきだという考えが存在していたことになります。ちなみにこの『誓文』が書かれたのは1342年であり、大石寺では5世日行(?〜1369)の時代です。執筆者の三位日順(1294〜1356)は日興の弟子であり、重須の第2代学頭まで務めた高僧の一人です。
 
 
つまり少なくとも1342年頃まで、日興門流の教えには、どこかの山の法主やどこかの教団の教義のみを絶対とするような原理主義的で偏頗な考え方は存在しなかったのであり、創価学会という教団を絶対の仏格としたり、大石寺法主に教義の絶対的な裁定権があるとするような偏頗な考え方は日興の教えから見ても誤りだということになるでしょう。
 
 
 
参考文献
松岡幹夫『日蓮正宗の神話』論創社、2006年