気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

還著於本人のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は法華経に説かれた「還著於本人」(げんじゃくおほんにん)について、書いてみようと思います。
実はこの見慣れない言葉、創価学会員や大石寺系教団の信徒さんはよく使います。



これ、どんな意味で使うかと言いますと、「還(かえ)って本人に著きなん」と読みまして、「法華経の行者に対して呪いや危害を加えようとする者は、かえって自らの身にその害を受けることになる」という意味で使われます。
自分たちを愚弄したものは呪われるという、非常に大石寺系らしい呪詛のような教義として考えられることが多かった記憶があります。



日蓮自身は『撰時抄』や『種種御振舞御書』などで、この「還著於本人」を引用しています。ここでは後鳥羽上皇方が真言の祈祷で承久の乱の勝利を祈った結果、戦いに敗れたことを「還著於本人」で説明しています(創価学会版御書283ページ、921ページ)。



ところで、この「還著於本人」は、法華経のどこに引用されているのでしょう。
実はこの言葉は、法華経観世音菩薩普門品第25、すなわち観音経に説かれています。
前後を引用してみましょう。



「呪詛諸毒薬。所欲害身者。念彼観音力。還著於本人。」
(『法華経』下、岩波文庫版262ページ)



ここでは「念彼観音力」という言葉が執拗に繰り返される偈になっています。意味は、



「呪いと諸々の毒薬に、身を害されようとしている者は、彼の観世音菩薩の力を心に念じれば、逆に呪った本人にかえっていく。」


くらいの意味になります。サンスクリット原典の訳を載せますと、次のようになっています。



「呪文・まじない・薬草・人間に憑く鬼霊・死体に憑く鬼など、人間の身体を滅すものは、アヴァローキテーシュヴァラを心に念ずれば、それを用いた当人に還ってゆこう。」
(同263ページ)



お読みいただいて、わかったかもしれませんが、これ、観音経の中の言葉です。観世音菩薩普門品では「観音力を念ずるならば」と条件付きで「還著於本人」が説かれています。
さて、創価学会日蓮正宗などの大石寺系教団の信徒は、日々の勤行等で観世音菩薩普門品を読誦しているのでしょうか?




例えば曹洞宗法華経のこの観世音菩薩普門品を読誦することで知られていますが、ほとんどの大石寺系信徒は唱えたことなどないのではありませんか? 創価学会員に至っては普門品が観音経と呼ばれていることさえ知らない人がほとんどかと思います。
今後、創価学会等の大石寺系教団がこの「還著於本人」の教義を使うのならば、例えば日々の勤行で観音経の一部を唱えるとか、観音像を拝むとかしないと、教義的には整合性が取れなくなるかと思います。