気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

法華経薬王品における臨終往生。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、法華経の各所に阿弥陀仏が出てくることは何度かブログで触れていますが、今日は具体的に薬王菩薩本事品第23から実際の文を引用してみます。



「若如来滅後、後五百歳中、若有女人、聞是経典、如説修行、於此命終、即往安楽世界阿弥陀仏、大菩薩衆囲遶住処、生蓮華中宝座之上」
(『法華経』(下)岩波文庫版、204ページ、『妙法蓮華経並開結』創価学会版、598〜599ページ)



簡単に通解するなら、



如来の滅後、後五百歳中において、もしある女性がいて、法華経薬王品を説の如く修行するならば、その人の臨終の時に安楽世界の阿弥陀仏と大菩薩に囲まれる住処に直ちに往生し、蓮華の中の宝座の上に生まれるであろう。」



ということになりますよね。



これって、法華経を信じる者が臨終往生できるということなのではないかなぁと思います。
ここを読む限り、確かに源信が『往生要集』で述べたように、臨終往生のように読めますし、また『一乗要決』で述べられているように、法華経阿弥陀仏の臨終往生の教えがなんら矛盾せず、共存しているように私には思えます。



源信とは違って、後年の法然では、どちらかと言うと臨終往生よりは平生の念仏が重要視されていまして、平生の念仏が臨終の際に往生に至るのだと考えています。
ところが、法然自身はどうも柔軟な考え方もする人だったようで、自身が平生念仏を唱えていても、決して臨終行儀を否定したわけではなさそうです。例えば法然の弟子たちの中には臨終行儀を重んじた門弟もいました。
また親鸞の『西方指南抄』の「法然上人臨終行儀」によりますと、法然の臨終に際し、弟子たちの促した五色の糸を取ることをしなかったようですが、法然自身は慈覚大師の九条の袈裟をかけて、枕を北にし、顔を西に向け、臥しながら念仏を唱え、亡くなったと言われます。



上記の法華経薬王品の引用部にもきちんと「於此命終」と書かれているように、ここでの法華経の功徳は、臨終の際の往生のことを述べていると思います。決して法華経には生きながら直ちに即身成仏するなどは説かれていないのです。実際に二乗成仏も如来の記別を与えられただけで、生まれ変わって後に仏になる約束がされただけなのです。



例えば、提婆達多品第12で説かれる「龍女の成仏」の場面も実際に引用してみましょう。



「当時衆会皆見龍女、忽然之間、変成男子、具菩薩行、即往南方無垢世界、坐宝蓮華、成等正覚、三十二相・八十種好、普為十方一切衆生演説妙法。」
(『法華経』(中)岩波文庫版、224ページ、『妙法蓮華経並開結』創価学会版、409ページ)



簡単に通解しますと、



「その時の会座の者たちは皆、龍女がたちまちのうちに、女性から男性に変わり、菩薩の行を具して南方の無垢世界に赴き、等正覚を成じて、仏の相を備え、一切衆生のために妙法を演説する彼女の姿を見た。」



少し補足しますと、実はこの姿は仏の神通力によって見せられたものでして、未来の姿の予言なんですね。
ですから龍女がそこで直ちに即身成仏したのではなくて、龍女が未来に男性となって生まれ変わり、南方無垢世界で妙法を説いている姿になることを予言されたということなのです。



だからこそこの命が終わって、臨終の際に安楽世界に往生するとか、生まれ変わった後に仏になれるとか、そんなことしか法華経には説かれていないのです。



誤解のないように言い添えておくと、今の私の思想や信仰は、どちらかというと源信の臨終行儀よりも、親鸞の他力の考え方に深く共感するもので、決して臨終往生だけを殊更に強調するものではありません。
ただここで述べておきたいのは、法華経薬王品で説かれた功徳と言うものは「於此命終」とあるように、臨終の際に「阿弥陀仏の世界に直ちに往生する」ことなのであり、まさに臨終往生のことなのではないでしょうか。
源信の一乗要決の考え方の根拠はこの辺にあるのではないかと個人的には思ったりします。




参考文献
丸山博正「臨終と来迎、臨終行儀をめぐって」『仏教文化学会紀要』第1号所収、1992年
小山聡子『浄土真宗とは何か』中公新書、2017年