いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は日蓮正宗の「棟札本尊」について書いてみたいと思います。
棟札(むなふだ)とは、建築物を造営する時にその由来や年月日、建立者等を棟木に記して、屋根裏の梁や柱の見えないところに釘で打ち付けておく札のことです。大石寺ではこの棟札の板に本尊を書くことがあったのです。
この「棟札本尊」、最近のほとんどの創価学会信者さんは知らないことと思います。このような板に本尊を記したものを、新築の家など建てる時に御守りとして天井裏の梁に打ちつけるということを行っていました。とりわけ古参の法華講信徒、旧信徒、伝統講さんは多くがご存知のことかと思います。また戸田城聖氏も会長時代に棟札本尊について言及していたことがあったようです。
では果たしてこれが日蓮由来の教義と言えるのでしょうか?
実は日蓮遺文では建治元年とされる『上野殿御書』には、この棟札について記述があります。
この中では「棟札のことを承ったので、書いて伯耆公(日興)に渡しておく」ことが書かれています。
ただ問題なのは、実はこの『上野殿御書』、真蹟も古写本も存在しません。刊行本では録外から出てきたもので、偽書説の可能性のあるものです。
ではこれ以外に日蓮遺文に「棟札」に言及されたものがあるのでしょうか。
実はこれ以外全くありません。日蓮の真蹟遺文には「棟札」と言及されたものは一つもないのです。ただ録外で真蹟古写本不存の偽書の疑いが残る、この『上野殿御書』にしか書かれていないのです。またここで言及されているのは単に「棟札」であって、確かに化城喩品の文は書いてあるのですが、「棟札本尊」とは書かれていません。したがって、この御書を「棟札としての『本尊』を日蓮が書いていた」という根拠とするにはいささか弱い気がします。
日興の文献も見てみたのですが、日興が「棟札」に言及した箇所は存在しないと思います。
従いまして、この「棟札本尊」という教義は、日蓮の真蹟に由来した教義であるとは言い難いでしょう。
論点を整理してみます。
1、昭和30年代〜昭和50年代の確認される資料から、日蓮正宗では末寺単位で「棟札本尊」が信徒に配られ、御守りとして家の柱や梁に打ち付けられる教義が存在したことがわかる。
2、これらの「棟札本尊」は、法主だけでなく末寺住職が書写することもあった。
以上の点が言えるかと思います。
いずれにせよ、由来不明の教義と言えるのではないでしょうか。
古来、宗創和合時代以前から大石寺系信仰を長く続けている方は、もしかしたら家の天井裏にこの「棟札本尊」が貼り付けてあるかもしれません。
追記
ブログ読者から「棟札本尊」の画像を提供頂きました。ありがとうございます。