気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

「導師本尊」と「未来本尊」

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
 
さて今回は、大石寺の謎めいた教義「導師本尊」「未来本尊」についてです。
まず「導師本尊」とは何か。これは大石寺僧俗の葬儀の際に奉掲される本尊のことです。
まずは実物の画像を見て頂くと良いでしょう。以下は大石寺67世阿部日顕書写の導師本尊です。

 
画像の2枚目には柳澤宏道氏の解析図を載せましたが、ここでは「天照大神」「八幡大菩薩」を書く位置に「五道冥官」「閻魔法皇」と書かれています。また両肩の讃文は「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」ではなくて寿量品の文「毎時作是念以何令衆生」「得入無上道速成就仏身」と書かれているのです。
 
 
当然のことながら、このような座配の本尊は日蓮真蹟本尊には全く見られない形式です。また日興や日目の本尊にも見られず、後世の大石寺で急に出てきた後付けの教義と考えられます。
導師本尊は、大石寺僧俗の葬儀に掲げられ、不思議なことですが、葬儀の際、実際の導師は「導師本尊」に向かわず、「導師本尊」を背にして棺に導師が相対して勤行をするのが大石寺の慣習になっています。
 
ところで、この「導師本尊」と全く同じ相貌で本尊を書き、それで故人の棺や骨壷に入れる風習が大石寺にあったと言うと驚かれるでしょうか。
実は大石寺には、この「導師本尊」と全く同じ相貌で「未来本尊」なるものを書写し、それを骨壷や棺に入れる等して、冥土の御伴にするということがかつて普通に行われていました。
以下の画像は、大石寺55世下山日布書写の「未来本尊」です。これは愛知県・妙道寺の信徒のご子息が戦争で亡くなり、その遺骨を収めた骨壷の中に保管されていたものです。折り畳まれて入っていたため、線がついています。書かれた年代は読み取れませんでしたが、下山日布の在位期間は1874〜1889年(明治7年〜22年)なので、明治期の書写と考えられます。なお個人が特定されそうな部分にはマーカーをしました。

 
 
確認してお分かりの通り、「導師本尊」と全く同じく「五道冥官」「閻魔法皇」また「毎時作是念以何令衆生」「得入無上道速成就仏身」と書かれています。
古くからの創価学会信徒ならご存知のことかと思いますが、これは日興の『富士一跡門徒存知の事』で否定された教義の筈です。

 
『富士一跡門徒存知の事』で日興は「或は曼荼羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り」「此くの如く軽賎する間・多分は以て失せ畢んぬ」(旧創価学会版御書全集1606ページ)と書かれており、明確に否定されています。
それにも関わらず、日蓮真蹟に全くない書法で「導師本尊」や「未来本尊」を書き、しかも骨壷等に入れる教義がかつては常態化していたとするなら、およそ大石寺の化儀は開山の日興にさえしたがっていないことになろうかと思います。
 
 
 
 
追記
今回の「未来本尊」の画像については、信徒の方から画像情報の提供がありました。ありがとうございます。
また「導師本尊」の画像と解析は、柳澤宏道『石山本尊の研究』増補版(はちす文庫、平成25年)から採ったものです。