気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

現当二世のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮正宗系の本尊右上には「為現当二世」と書かれることがあります。これは現世と未来世の二世に渡るという意義が込められているとか、いろいろ日蓮正宗では説明がされます。下の画像は大石寺67世・阿部日顕氏書写の本尊ですが、きちんと「現当二世」と書かれています。

f:id:watabeshinjun:20211219071510j:plain


ところが、この言葉、日蓮真蹟本尊、また日興の真蹟本尊にも書かれていません。
調べてみると大石寺3祖の日目書写本尊にも書かれていません。4世日道、5世日行、6世日時、8世日影、9世日有の本尊を可能な限り見てみたのですが、書かれていません。
そもそも大石寺奉安堂蔵の弘安2年造立説戒壇本尊は、偽作の可能性が高いものですが、これに書かれている「為現当二世」は本尊右上ではなく本尊下部に金箔を入れないで彫られています。つまり右上に「現当二世」を書き込むという書法は、上古の大石寺の教義には存在しなかった可能性が高いのです。
ちなみに創価学会で頒布されている大石寺26世の日寛書写本尊にも「現当二世」の文字はありません。年号の享保5年の上は空白で「現当二世」の文字はどこにも見られません。

f:id:watabeshinjun:20211219071530j:plain



ちなみに日寛書写本尊は、他にも享保3年書写本尊、享保11年の静岡県沼津市の板本尊を確認しましたが、どれも「現当二世」の文字は書かれていないのです。


では大石寺の歴史の中で、最初に「現当二世」の文字を書いた本尊が出てくるのは、いつ頃のことなのでしょうか。
私の限られた資料の中から発見したのは、大石寺48世清日量の本尊でした。以下の画像は、天保11年4月8日書写、深沢源七授与の板本尊です(静岡県沼津市某家蔵)。ちなみに天保11年の時点で日量は既に51世の日英に法を付属しており、「隠尊」となっています。

f:id:watabeshinjun:20211219071608j:plain




これ以降、近年に入ると、本尊中に「現当二世」の文字が書かれるようになります。以下の画像は大石寺56世大石日応(日應)の明治44年4月書写の本尊になります。確かにここには「為大法興隆現当二世」と書かれています。

f:id:watabeshinjun:20211219071629j:plain




ところが、書かない例も併存しています。例えば少し遡りますが、大石寺52世の鈴木日霑が明治11年8月1日、信濃講中に授与した本尊では「一天四海皆帰妙法広宣流布」と書かれているのですが、ここには「現当二世」の文字はありません。

f:id:watabeshinjun:20211219071648j:plain




また以前に紹介した大石寺64世・水谷日昇氏が書写した「創価学会常住」の本尊にも「現当二世」とは書かれていません。画像は不鮮明のため、わかりづらいと思いますが、マークした部分には「為大法弘通慈折広宣流布大願成就」と書かれています。信濃町広宣流布大誓堂に行かれる方がもしもいましたら、ぜひ直接に確認してみてください。

f:id:watabeshinjun:20211219071704j:plain



思うに、本尊右上に「現当二世」と書く教義は、元来日蓮や日興、日目らの考えにはなく、江戸時代中後期から次第に書かれるようになったものと考えられます。しかしながら52世鈴木日霑の本尊や、66世細井日達の御守本尊、67世阿部日顕書写の導師本尊等には書かれていません。したがってこの教義は近年以降も決して一貫しているとは言い難いと私は思います。




追記
ちなみに日蓮遺文中で「現当二世」と書かれているのは、私の知る限りでは、『真言見聞』『下山御消息』『当体義抄』の三つだけです。このうち『真言見聞』と『当体義抄』は真蹟不存、残る『下山御消息』も現存率10%程度の断簡の集積です。したがって日蓮はほとんど「現当二世」という言葉を使わなかったと考えられます。