気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

南無天照八幡等諸仏。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて日蓮の教義形成には神道の影響があることを何度かこのブログでは指摘しています。
例えば曼荼羅本尊の中央下部には必ず「天照大神」と「八幡大菩薩」が勧請されます。当然ですが、どちらも日本古来の神であり、法華経とは何の関係もありません。
これは日蓮の「神天上の法門」で、世の人々が法華経を信じなければ神々が国を捨て去ってしまうと信じられているからです。すなわち日蓮にあっては「天照大神」や「八幡大菩薩」等の諸神も実在の神として信じられているのです。
 
日蓮氏神としての諸神も実在の神として認めている」
 
日蓮の『三沢抄』に「神は所従なり法華経は主君なり」(創価旧版全集1490ページ)とあるように、神は法華経における「所従」に当たります。だから「天照大神」や「八幡大菩薩」には「南無」の字は冠されていません。
 
ところが、大石寺33世日元が富士浅間神社に奉納した板本尊には何と「南無」の字が神に冠され「南無天照八幡等諸仏」と書かれているのです。

大石寺法主が富士浅間神社に本尊を奉納し、そしてそこに勧請された「天照大神」と「八幡大菩薩」に「南無」されているとすれば、大石寺相伝されている日蓮の教えとは一体何のかという疑問もわくでしょう。
これは大石寺古来の教義に神道の影響が、日蓮以上に強く入っており、だからこそ浅間神社に本尊を奉納することも、天照大神に南無することも何ら誤ったこととして認識されていなかったことを意味します。だからこそ日蓮正宗の旧信徒さんや根檀家さんたちは普通に神社にも参拝をするのです。先祖代々そのようにやってきた彼らの大石寺信仰とはそのようなものであり、新参の法華講たちの態度とは異なるのだということになります。