いつもみなさん、ありがとうございます。
これは日蓮の「神天上の法門」で、世の人々が法華経を信じなければ神々が国を捨て去ってしまうと信じられているからです。すなわち日蓮にあっては「天照大神」や「八幡大菩薩」等の諸神も実在の神として信じられているのです。
日蓮の『三沢抄』に「神は所従なり法華経は主君なり」(創価旧版全集1490ページ)とあるように、神は法華経における「所従」に当たります。だから「天照大神」や「八幡大菩薩」には「南無」の字は冠されていません。
これは大石寺古来の教義に神道の影響が、日蓮以上に強く入っており、だからこそ浅間神社に本尊を奉納することも、天照大神に南無することも何ら誤ったこととして認識されていなかったことを意味します。だからこそ日蓮正宗の旧信徒さんや根檀家さんたちは普通に神社にも参拝をするのです。先祖代々そのようにやってきた彼らの大石寺信仰とはそのようなものであり、新参の法華講たちの態度とは異なるのだということになります。