気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

本地天照大神・垂迹釈迦日蓮説。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて新年明けてから、大石寺の本来の教義的前提に存在した神道の影響を続けて書いています。
この問題、日蓮自身に天照大神八幡大菩薩を重要視するエレメントがあり、それが大石寺富士門流に教義として伝えられてきたというのが実態だったように思います。


そもそも大石寺に伝えられてきたとされる『本尊三度相伝』には以下のようにあります。


「釈迦と申すは天照太神、西天に釈迦と顕はれ、諸仏の本誓妙法蓮華経を説き一切衆生悉く是れ吾が子なりと宣ふ、日本にまた大明神と顕はれ、正直に方便を捨つる本願の誓に酬て、正直の頭に宿る。末法濁世の時は、日蓮聖人と顕はれ、諸仏の本願を顕はす。」
(『本尊三度相伝』富士宗学要集1-38ページ)


読めば一目瞭然で、釈迦・日蓮の本地が「天照大神」であることが説かれ、天照大神垂迹が釈迦であり日蓮であるということになります。


また『産湯相承事』には以下のようにあります。


「我が釈尊法華経を説き顕し給石より已来十羅刹女と号す、十羅刹と天照太神釈尊日蓮とか一体の異名・本地垂迹の利益広大なり」
(『産湯相承事』創価学会版御書全集、879ページ)


読めばお分かりのようにここでは十羅刹と天照太神釈尊日蓮とが「一体の異名」であるとまで書かれています。


『産湯相承事』も『本尊三度相伝』も後世に創作された偽書であると私は思いますが、少なくともこれらが"相伝書"として大石寺、あるいは富士門流諸山に伝えられ、その中で「釈迦と日蓮の本地は天照大神である」という教義が史的に形成されてきたという可能性は十分にあると思います。