いつもみなさん、ありがとうございます。
それは例えば『新尼御前御返事』(真蹟身延曽存)を読むとよくわかります。
「天照大神は東条の郷に住まう」
つまり日蓮にあっては天照大神や八幡大菩薩は「実在する神」で、『立正安国論』に説かれる「神天上の法門」とは、世の人々が法華経を信じなければ国土を守護すべき神が国から去ってしまうということを述べたものなのです。
「日蓮の神天上の法門」
具体的に日蓮真蹟から述べてみましよう。
この遺文からもわかるように、一国全てが法華経を持たなくても、個人が法華経の信仰を持つことで諸天善神の加護があることを日蓮自身が認めています。しかもここで述べられているのは「富士千眼大菩薩」すなわち「富士千間神社」の祭神のことです。したがって法華経を持つものは、天照大神や八幡大菩薩だけでなく、富士千間神社の祭神の守護があることも日蓮は認めているのです。
また『三沢抄』(日興写本が北山本門寺に現存)には以下のように書かれています。
「うぢがみ(氏神)へまい(参)りてあるついでと候しかば・けさん(見参)に入るならば・定めてつみ(罪)ふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり・所従のついでに主君への・けさん(見参)は世間にも・をそれ候、其の上尼の御身になり給いては・まづ仏をさき(先)とすべし、かたがたの御とが(失)ありしかばけさんせず候、」
(日蓮『三沢抄』同旧版全集1489〜1490ページ、新版全集2014ページ)
ここでは「内房の尼」が氏神への参詣のついでに身延の日蓮のところに来たことを糺している部分なのですが、ここで日蓮が述べているのはあくまで氏神参拝に関しては「神は所従」である故に「まづ仏を先とすべし」ということであって、文意を読む限りは法華経を根本にして「まず仏を先に参拝する」限り、氏神への参詣そのものも決して否定はしていないのです。
したがいまして、日蓮の信仰観には日本古来の神道や氏神信仰が法華経信仰に混在していまして、まさに神仏習合の教えであったことがわかるかと思います。そもそも法華経には天照大神も八幡大菩薩も出てはきません。しかし日蓮書写曼荼羅の多くに両者が書かれていることからも推察できるでしょう。