気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日蓮は氏神等の諸神も実在の神として認めている。

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
日蓮は「神天上の法門」を述べる時、天照大神八幡大菩薩が「実在の神」であるという認識に立っています。
それは例えば『新尼御前御返事』(真蹟身延曽存)を読むとよくわかります。
 
 
天照大神は東条の郷に住まう」
 
 
つまり日蓮にあっては天照大神八幡大菩薩は「実在する神」で、『立正安国論』に説かれる「神天上の法門」とは、世の人々が法華経を信じなければ国土を守護すべき神が国から去ってしまうということを述べたものなのです。
ですから人々が法華経に帰依するならば、法味を求めて神が国土を守護するというのが、日蓮が説いた教えになります。
 
 
日蓮の神天上の法門」
 
 
ところで、日蓮はここで「神」と言う時、曼荼羅本尊に図示された「天照大神」や「八幡大菩薩」のことが考えられますが、実は他の諸神も日蓮はその実在を信じていた節があるのです。
 
具体的に日蓮真蹟から述べてみましよう。
弘安3年10月の『上野殿母御前御返事』(真蹟は小泉久遠寺北山本門寺現存)には次のように述べられています。
 
 
「かかる不思議の徳まします経なれば此経を持つ人をば、いかでか天照大神八幡大菩薩、富士千眼大菩薩すてさせ給べきとたのもしき事也」
日蓮『上野殿母御前御返事』創価学会版旧御書全集1572ページ、新版御書全集1910ページ)

 
この遺文からもわかるように、一国全てが法華経を持たなくても、個人が法華経の信仰を持つことで諸天善神の加護があることを日蓮自身が認めています。しかもここで述べられているのは「富士千眼大菩薩」すなわち「富士千間神社」の祭神のことです。したがって法華経を持つものは、天照大神八幡大菩薩だけでなく、富士千間神社の祭神の守護があることも日蓮は認めているのです。
 
 
また『三沢抄』(日興写本が北山本門寺に現存)には以下のように書かれています。
 
「うぢがみ(氏神)へまい(参)りてあるついでと候しかば・けさん(見参)に入るならば・定めてつみ(罪)ふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり・所従のついでに主君への・けさん(見参)は世間にも・をそれ候、其の上尼の御身になり給いては・まづ仏をさき(先)とすべし、かたがたの御とが(失)ありしかばけさんせず候、」
日蓮『三沢抄』同旧版全集1489〜1490ページ、新版全集2014ページ)

ここでは「内房の尼」が氏神への参詣のついでに身延の日蓮のところに来たことを糺している部分なのですが、ここで日蓮が述べているのはあくまで氏神参拝に関しては「神は所従」である故に「まづ仏を先とすべし」ということであって、文意を読む限りは法華経を根本にして「まず仏を先に参拝する」限り、氏神への参詣そのものも決して否定はしていないのです。
また先述のように『新尼御前御返事』(身延曽存)では、日蓮源頼朝天照大神に東条の御厨を寄進し、神の御意に叶った故、頼朝が天下を統べる将軍になったことを認めています。
 
 
したがいまして、日蓮の信仰観には日本古来の神道氏神信仰が法華経信仰に混在していまして、まさに神仏習合の教えであったことがわかるかと思います。そもそも法華経には天照大神八幡大菩薩も出てはきません。しかし日蓮書写曼荼羅の多くに両者が書かれていることからも推察できるでしょう。