いつもみなさん、ありがとうございます。
ところで、みなさんは「五座三座の勤行」って覚えているでしょうか。
法華経方便品十如是と寿量品を朝は5回、夕は3回やるのが「五座三座」の勤行でした。
朝は5回やるので、創価学会の超快速勤行でも25分くらいはかかったものです。
ところで、この朝の勤行の「初座」、ちょうど本尊から離れて東天に向きを変えて行う勤行ですが、鈴(「りん」、鐘のこと)を打たなかったことを覚えているでしょうか。
「初座」は鈴を打たずに勤行を行い、「二座」に入って本尊に正対して初めて「ゴゴンゴ〜ン」と鈴を鳴らしたものです。
ところで、みなさんは「初座」で「鈴を打たない」理由ってご存知ですか?
私はてっきり「初座」は、諸天供養で東向きになるため鈴に手が届かないから単純に鈴を打たないのだと思っていました。
実はこのことに関して大石寺9世日有が、述べている文献があります。
「天ノ御経ノ時鐘ヲ不打事ハ垂迹垂迹ト沙汰シテ候ナリ、其ノ故ハ神代ノ時ハ本地トシテ仏ヲ垂迹ト沙汰シ、又仏出世シ玉ヒテヨリ以来ハ仏ハ本地、神ハ垂迹ニテ候也、今ハ天ナントヲハ垂迹垂迹ト沙汰申シ候、サテ鐘ヲ不打也。」
つまり諸天供養の初座の勤行は日有の言うところに従うなら、「鐘を打たないことは垂迹垂迹と沙汰すること」なのだそうです。かつての神代の昔は神が本地として仏を垂迹としたが、仏が世に出世して後は仏が本地であり、神が垂迹とする、だから神を垂迹とするが故に「鈴を打たない」のだそうです。
邪推やもしれませんが、これを敷衍すると神と仏が同じになってしまい、戸田城聖氏が小笠原慈聞氏を糾弾した「狸祭り事件」が自己矛盾になってしまうからなのかと思います。
「狸祭り事件」
「創価学会青年部から小笠原慈聞氏への示威行為」
「神社建立・本尊奉納は大石寺本来の教義」
私が子どもの頃に唱えていた「初座」の御観念文は以下のようなものでした。
つまりここからもわかるように、大石寺の本来の教義には、富士山信仰と一体になった神道の影響が色濃くあったのです。このことは神社への本尊奉納等の史実からも、また『本尊三度相伝』等の大石寺文書からも伺うことができます。