気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

初座で鈴を打たない理由。





いつもみなさん、ありがとうございます。



ところで、みなさんは「五座三座の勤行」って覚えているでしょうか。
大石寺法華講信徒さんは今もやられている方がいると思いますが、創価学会の信徒さんの方は多くが忘れているでしょう。
法華経方便品十如是と寿量品を朝は5回、夕は3回やるのが「五座三座」の勤行でした。
朝は5回やるので、創価学会の超快速勤行でも25分くらいはかかったものです。



ところで、この朝の勤行の「初座」、ちょうど本尊から離れて東天に向きを変えて行う勤行ですが、鈴(「りん」、鐘のこと)を打たなかったことを覚えているでしょうか。
「初座」は鈴を打たずに勤行を行い、「二座」に入って本尊に正対して初めて「ゴゴンゴ〜ン」と鈴を鳴らしたものです。
ところで、みなさんは「初座」で「鈴を打たない」理由ってご存知ですか?



私はてっきり「初座」は、諸天供養で東向きになるため鈴に手が届かないから単純に鈴を打たないのだと思っていました。
実はこのことに関して大石寺9世日有が、述べている文献があります。
それは『日拾聞書』というもので、『日蓮正宗歴代法主全書』に収録されています。大石寺には31世日因の写本が現存しています。



「天ノ御経ノ時鐘ヲ不打事ハ垂迹垂迹ト沙汰シテ候ナリ、其ノ故ハ神代ノ時ハ本地トシテ仏ヲ垂迹ト沙汰シ、又仏出世シ玉ヒテヨリ以来ハ仏ハ本地、神ハ垂迹ニテ候也、今ハ天ナントヲハ垂迹垂迹ト沙汰申シ候、サテ鐘ヲ不打也。」
(日有『日拾聞書』日蓮正宗歴代法主全書1-406ページ)

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つまり諸天供養の初座の勤行は日有の言うところに従うなら、「鐘を打たないことは垂迹垂迹と沙汰すること」なのだそうです。かつての神代の昔は神が本地として仏を垂迹としたが、仏が世に出世して後は仏が本地であり、神が垂迹とする、だから神を垂迹とするが故に「鈴を打たない」のだそうです。



一点、疑問が湧くのですが、なぜこのことを大石寺宗門も創価学会も教えてこなかったのでしょう。
邪推やもしれませんが、これを敷衍すると神と仏が同じになってしまい、戸田城聖氏が小笠原慈聞氏を糾弾した「狸祭り事件」が自己矛盾になってしまうからなのかと思います。
またこれらを認めるなら、大石寺宗門がかつて神仏習合で富士山信仰と密接に繋がっていたことが信徒によくわかってしまうからだと思います。



「狸祭り事件」

創価学会青年部から小笠原慈聞氏への示威行為」

「神社建立・本尊奉納は大石寺本来の教義」



私が子どもの頃に唱えていた「初座」の御観念文は以下のようなものでした。


「生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神・諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益法味倍増の御為に」


ところが、かつて戸田城聖氏の時代に教えていた「初座」御観念文は少し違うのです。以下と読み比べてみてください。出典は戸田城聖日蓮正宗方便品寿量品精解』(精文館、昭和33年)です。


「生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照大神・正八幡大菩薩惣じて法華守護の諸天善神・諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益法味倍増の御為に」


昔の日蓮正宗「初座」の御観念文にはきちんと「天照大神」と「八幡大菩薩」が入っているのです。
つまりここからもわかるように、大石寺の本来の教義には、富士山信仰と一体になった神道の影響が色濃くあったのです。このことは神社への本尊奉納等の史実からも、また『本尊三度相伝』等の大石寺文書からも伺うことができます。
そのような神道の影響が大石寺の教義には存在していまして、大石寺9世日有は当時からそれを踏まえた上で「諸天への勤行では鐘を打たないことの意義」を「垂迹」として、ちゃんと述べていたということになります。