いつもみなさん、ありがとうございます。
さて北山本門寺には「本門寺根源」を記した「棟札」が存在し、三堂が一時に造営すべきことが記されています。
この昭和26年(1951年)の記事では、「遺跡」として扱われていますから、この時、既に廃堂になっていたことがわかります。ただ建物自体はこの時まで現存していたということになります。
記事からわかることは「御影堂の周辺は巨木に取り囲まれており、東側に清流が流れているが、この辺りに現在は遺跡として『天王堂』『垂迹堂』が存在していた」ことです。
現在、私は大石寺に参詣することがないのですが、もしも読者の中で上条大石寺に行かれる方がありましたら、ぜひ御影堂の東側、水の流れるあたりに「天王堂」「垂迹堂」跡が存在していたことを見てみるとよいのかもしれません。