気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

常泉寺の古図に見る天王垂迹堂の位置。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、大石寺の境内には天照大神八幡大菩薩垂迹のための「天王堂」「垂迹堂」が近年まで存在していました。大石寺はその天王堂に紫宸殿本尊の板模刻を安置までしていたことが史料からもわかります。


「紫宸殿本尊は、大石寺天王堂に安置されていた。」



大石寺59世・堀日亨氏の『富士日興上人詳伝』では「かつて常泉寺にありし古図」と称するものを、抄出しています。その画像を載せてみましょう。

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これを見ると天王堂と垂迹堂は、常唱堂の北西に位置しています。すぐ手前に鐘楼があるということは、御影堂のすぐ近くにこの「天王堂」「垂迹堂」が存在していたということです。


かつての大石寺には、神仏習合の影響が多くみられ、天照大神八幡大菩薩も尊重されていたことがここからもわかりますが、なぜそれらの史実が、創価学会の登場以降に秘されて廃堂となり語られなくなっていくのでしょう。このようなところに史実を歪曲する姿勢を感じるのは私だけでしょうか。