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「神社に奉納された御本尊」
このうち、大石寺33世日元が宝暦14年(1764年)に書写奉納した本尊について、一部の勧請で日元は非常に特殊な書き方をしています。
今回指摘したいのはまず天台と伝教を別勧請とせず、一行に2人分を纏めて書いてあることです。
さらに指摘するなら、通常なら首題の下部で「経」の字の左右に配置されるべき「天照大神」と「八幡大菩薩」ですが、大石寺の日元氏はなんと「南無天照八幡等諸仏」と全部纏めて書いてしまっています。もちろんこの書き方は日蓮にも見られませんし、日興の本尊にも見られない形式です。
昨日の記事で『御本尊七箇相承』の「能く能く似せ奉るなり」という相伝を紹介しましたが、肝心の大石寺の法主がきちんと似せて書写していないとすれば、そもそも大石寺に伝わったとする相伝に大石寺の法主が忠実ではないということになり、矛盾が生じるかと思います。