気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

大石寺伝統講、旧檀信徒さんについて。




いつもみなさん、ありがとうございます。
さてTwitterでは大石寺の狂信的な法華講信徒さんたちがむきになられて、私の論拠を否定されたいみたいです。まあ「ご自由に」と申し上げたいです。結局彼らは「依義判文」でしかなく、書かれていなくても「こう読むのが正しい」「こう読むのが正しい相伝」ということしか語りませんから(笑)、大石寺の新参講の法華講信徒さんが文献を根拠に語ろうとしないことはもうどうにもならないことかと思います。


で、Twitter上でも実際にも、何人か大石寺の伝統講の旧檀徒さん、旧信徒さんの知り合いもいまして、連絡を頂いてメールのやり取りで話すこともよくあります。今日はそのことを書きたいと思います。



大石寺が昔、疲弊していた時、登山会をやろうと言ったのは創価学会の戸田会長です。
創価学会が現れる前から存在する旧檀信徒さんは、他宗を謗法払いとする行為も特にしませんでした。彼らは神社等にも参拝しますし、御守りも持ちます。それに元々は本山に登山するという習慣もそんなになかったかと思います。


他宗教を邪宗として批判するのは、創価学会が出現して以降のことで、例の狸祭り事件でもわかるように徐々に創価学会側から大石寺への教義の影響があったのかと思います。その代表的な事例が例えば登山会であったり、その後の謗法払いの姿勢であったりしました。そもそも大石寺52世鈴木日霑氏や、同55世下山日布、56世大石日応などちゃんと他山との興門唱導会にも参加していますし。


旧檀信徒さんがよく語られるのは、最近の法華講さんの信仰に対する姿勢です。他宗批判(特に創価学会批判)をガンガンにやり、大石寺戒壇本尊を絶対とする考え方に非常な違和感を彼らは抱いています。彼らからすれば新参の法華講さんがやられていることは実質的に創価学会の活動の裏返しにしか見えていません。


旧檀信徒さんからすれば、戒壇本尊の信憑性も言い伝えくらいのものとして考えられていますし、そもそも法主の血脈も「一度か二度は切れていますよね」と言われていました(笑)。
要するに史実や文献的な信用性からは大石寺の教義の信憑性を疑問視もしていまして、それでも伝統的に大石寺の信徒であり続けているというのが伝統講さんの実状なのかと思います。


追記:
大石寺の血脈が一度日阿と日影の間で切れていることはブログでも以前書いたことがあります。


大石寺7世・日阿のこと」