いつもみなさん、ありがとうございます。
さて大石寺の狂信的な信徒さんは、戒壇本尊の相貌について、それが『御本尊七箇相承』の指示と異なるということ、また御座替本尊の相貌は戒壇本尊の相貌と全く異なること、等々の指摘を「お前は見たのか」と議論をすり替えてきます。
ところで具体的に書かれていることを否定されるなら、それが実際は具体的にどう書かれているのかということを示せなければなんら反論にはならないはずですし、それを示せないということは戒壇本尊の相貌のこちらの解析が正しいということを事実上認めていることと同義なんです。そのことがきっと信徒さんはご理解されないのかと思います。
いずれ大石寺にせよ創価学会にせよ、日本の超高齢社会の波にさらわれて、教団が瓦解していくことは火を見るより明らかですが、日寛教学を根底から見直さない限り、「私はこう思う」「私はこういう確信がある」と議論にならない議論をして、日蓮でも仏教でも何でもない信仰を主張される方はなくならないと思います。