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小説『人間革命』第6巻では、「神本仏迹論」を唱えた小笠原慈聞(『人間革命』中では笠原慈行)に謝罪を要求する表現に"美化"されていますが、どうも実態は違うようです。
戸田氏は単に式典に参加するだけではなく、大石寺における創価学会の存在感を示すために「狸祭り」と呼ばれる一連の暴力事件を起こしたと考えられます。というのは大石寺に乗り込む前、3月2日に戸田氏は青年部にすでに小笠原慈聞氏の糾弾を指示していたからです。池田大作を含む当時の青年部幹部は戸田氏の指示を受けて実行の手筈を整え、実働部隊47人を事前に選び、プラカードや謝罪文の案文等の準備まで行なっていました。
昭和27年4月27日夜、創価学会青年部の行動部隊は大石寺内の僧坊を回り、小笠原氏を探し歩きます。やがて寂日坊に彼を発見し、龍年光と池田大作の部隊は小笠原氏に謝罪を要求します。ところが小笠原氏はこれに反論して埒があかず、業を煮やした龍年光たちは彼を担ぎ上げます。この時、池田大作の知らせで戸田も寂日坊に駆けつけます(聖教新聞、昭和27年5月10日)。
事件後に小笠原氏が発表した手記『創価学会長戸田城聖己下団員暴行事件の顛末』によれば、戸田は「生意気いうな」と小笠原氏の左耳の上と右横頭を強打し、行動部隊多数も殴る蹴るの暴行を働き、彼の服を脱がせてシャツ一枚にしてしまいます。
その後、行動部隊は小笠原氏を担ぎ上げ、筆頭理事の和泉覚の指揮で大声をあげながら、大石寺内の牧口常三郎の墓前まで彼を運びます。ここで行動部隊は再び小笠原氏を責め立て、あらかじめ用意しておいた案文の謝罪文を彼に書かせます。この間に地元の消防団や村民が騒ぎを聞きつけて詰めかけ、暗夜の墓地で乱闘が始まり、墓石が倒れて怪我人が出ました。
小説『人間革命』第6巻では「笠原に傷をつけてはならない」と戸田が発言したと書かれ、あたかも創価学会側には一切の暴力行為がなかったかのように描かれていますが、実際には小笠原慈聞氏は全治数週間の負傷で医師の診断書を添えて告訴しています。そのため会長の戸田城聖と筆頭理事の和泉覚は警察に拘留され、取り調べも受けています。
小笠原氏はその後、全国の日蓮正宗の末寺に創価学会を告発するパンフレットを送り、創価学会に牛耳られたとして総本山の管長も告訴しています。創価学会は事件直後にはシャツ一枚の姿の小笠原氏の写真を『大白蓮華』に掲載までしており、日蓮正宗側も事態を重く見て、宗会は戸田の謝罪文提出、大講頭罷免、登山停止を全会一致で決議しました。
戸田城聖は即座に巻き返しに出ます。創価学会幹部に宗会議員を個別に訪問させ、決議を事実上潰します。池田大作も7月に文京区戸崎町の白蓮院(現在は江戸川区北小岩に移転)を訪問しており、決議の全面取り消しを約束させています。また小笠原氏本人に対しては創価学会から30万円を支払い示談をしています。
このような戸田城聖の根回しと本山への圧力によって、小笠原慈聞は慰謝料30万円で手を打たされることになります。
参考文献: