気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

かつて男子部だった壮年幹部の人たち。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて最近、私のところには創価学会大石寺の活動家さん、非活さん、未活さんたちからさまざまに連絡が入るようになりました。
一番多いのは、組織そのものの人材不足、若い人がいないというものです。
とりわけ創価学会の地域組織の人材不足は酷いものでして、壮年部の区長が本部長を兼任しているとか、地区部長がいない地区があるとか、女性部の白ゆり長が非活とか、耳を疑うようなことばかりです。
男子部も本部長が部長を兼任しているとか、もはやこれでは組織は瓦解していると言っても良いでしょう。
いったいどうしてこうなってしまったのでしょう。



いろいろな観点から論じることができるでしょうし、事実、私もさまざまな観点から組織崩壊の原因と考えられることをこのブログで述べていますが、その一つに男子部や壮年部に特有の派閥意識やパワハラ体質があるのではないかと思っています。



今はどうか知りませんが、私が青年部だった頃の創価班や牙城会の指導会で、もしも遅刻しようものなら大変なことになります。
「出て行け!」とか「そんな意識で本部担当が務まるか!」とか罵声を浴びせられることなど日常茶飯事でした。
今はそんなことはないと思うのですが、少なくとも2000年代後半くらいまでは、そんな罵声を浴びせる指導が普通だったのです。
私も男子部の部幹部、本部幹部だった時には区圏や分県・総県幹部に怒鳴られることばかりでした。
私の仲良しだった部長たちも怒られて気が滅入って、そのまま半年ほど非活になった人たちがいたものです。
かつての創価学会はそうやって人材を消費していき、代わりがいなければ次の若手を起用するくらいの強気な手法で、組織を構築してきたのです。少なくとも私がかつて見てきた男子部はそういうところでした。



そして、その男子部幹部たちは今や壮年部幹部になっています。彼らの多くがブロック長や地区部長等、多くが地区幹部に入っているのです。
彼らはかつての男子部で育った人間たちです。女性部に何か言うのは憚られても、男子部の若い人たちには強気に言います。かつては自分たちもそうやって育てられてきたからです。
その結果、今の若い人たちはどんどん組織から離れています。それはそうです。会合に出たのに怒られては面白い訳がありません。二度と出たいなどと彼らは思わないでしょう。にも関わらず、壮年部幹部たちは「最近の若い世代は心が弱い」とか「俺たちが男子部の頃は……」とかそんなことを言いながら、ふんぞり返って指導者面をしているのです。



誤解のないように言い添えると、全ての壮年部幹部がそうであるということではありません。私がここで言いたいのは、少なくともそういう過去の男子部の指導体質が染み付いていて、若い世代に罵声を浴びせるだけの壮年幹部が「少なからず存在する」ということなのです。



ただでさえ、人材に不足する現在の創価学会法華講で、そのような力任せのパワハラ指導がまかり通るならば、人材流出、非活化の流れは止めることができないと思われます。















大石寺8世日影書写本尊について。




あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
いつもみなさん、本当にありがとうございます。




さて、年末年始ということも何の関係もなく、淡々とブログは普通に書き綴っていきたいと思います。マイペースですみません。
昨日の記事で日興書写本尊と大石寺6世日時書写本尊の画像を紹介しました。私は創価学会の元活動家で、元広宣部・言論企画部の方面中心メンバーでしたから、その関係でさまざまな史料を集めたものです。その関係で大石寺歴代の書写本尊など史料をある程度集めています。



そんな中で大石寺の近年の本尊と比べて随分違うと感じたのは、日興書写本尊、3世の日目書写本尊、そして8世日影書写本尊です。
今回は大石寺8世日影書写本尊を紹介してみましょう。以下の画像は応永20年8月書写、柳目妙教寺蔵の日影書写本尊になります。

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見てわかるかと思いますが、数々の点が近年の大石寺歴代本尊と違います。
まず「日蓮」ではなく「日蓮聖人」と書かれています。これは日興や日目の書写本尊によく見られますが、それ以外ではほとんど見られません。
次に「大梵天王」と「帝釈天王」が書かれていません。「大明星天王」や「八大龍王」「第六天魔王」さえ書かれていないのです。
提婆達多」も「阿闍世王」も「舎利弗」も「転輪聖王」も書かれていません。「奉書写之」も書かれていません。


思うに、大石寺の本尊書写は書法として上古から全く一貫しておらず、歴史的に変遷を経て変化して成立したものであると考えられます。


















「讃者積福於安明」と「謗者開罪於無間」




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮正宗系の曼荼羅本尊には左右両肩に讃文と言って「有供養者福過十号」「若悩乱者頭破七分」と書かれています。
この根拠は法華経陀羅尼品を元に、中国天台宗湛然が『法華文句記』で述べた言葉であり、正確には法華経の引用ではありません。




「『頭が七つに破れる』とは仏教の考えか」

「日興讃文と近年の大石寺法主讃文の書法は異なる」



上の記事では、そもそも「頭が七つに破れる」というのが仏教の考え方なのかと言う点、またこれら二つの讃文が日興の書法と近年の大石寺法主の書法とで異なっていることを述べています。



ところで、日興書写本尊には一部、別の讃文が書かれているものがあります。
それは「讃者積福於安明」と「謗者開罪於無間」です。
この二つの文は最澄の『依憑天台集』の中の言葉で、やはり法華経中の言葉ではありません。そしてこの二つの文は『御本尊七箇相承』には全く出てこない言葉なのです。



具体的に挙げてみましょう。例えば元徳2年5月1日書写の日興書写本尊(群馬県・本応寺蔵)にはきちんと「讃者積福於安明」と「謗者開罪於無間」が書かれています。

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この書法、大石寺の歴代ではほとんど見られないのですが、私の持つ限られた史料の中で確認できたのは、大石寺6世日時です。
以下の画像は応永9年10月13日の日時書写本尊(柳目妙教寺蔵)ですが、きちんと両肩部分に「讃者積福於安明」と「謗者開罪於無間」が書かれていることがわかるかと思います。

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ところが大石寺開山の日興と、6世の日時以降、この書法はほとんど見られなくなります。
つまり大石寺の本尊書写の書法は一貫しておらず、歴史的な変遷を経て変化してきたものであるということになります。







折伏が「武力弾圧」の意味であることを堀日亨は既に認めていた。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて私はこのブログで「折伏」という語に本来「布教」という意味はなく、日蓮や日興にあっては「為政者または神仏における処罰や武力弾圧」という意味で使われていたことを述べています。



「摂受と折伏について」

日蓮における他宗弾圧の正当化」

「日興による『折伏』の用例」



上の記事、どれを見てもおわかりかと思いますが、本来日蓮や日興の思想では「折伏」に「布教」の意味はなく、「為政者による他宗の武力弾圧」だったのです。だからこそ出家者である日蓮や日興は人を殺めることができないからこそ、国家諫暁を行って立正安国論の提出を幕府や時の政府にしてきたのです。




さてそんな考えですが、実はこの「折伏=武力弾圧」という意味が、かつての過去の大石寺でも普通の認識であったことがわかってきました。『大白蓮華』59号(昭和31年4月号)に載る記事で、大石寺の堀日亨氏に聞く企画「三大秘法と戒壇の歴史」というものがありまして、この中で堀日亨氏は以下のように述べています。ちなみに聞き手は辻武寿池田大作龍年光、司会は小平芳平です。

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猊下  観心本尊抄の末文なんかはですね、摂受・折伏の両方をあげてあるね。折伏のときは国家が武力でもって折伏して、摂受のときは僧侶がおだやかに布教をする。両方の面をやっていくわけだね。
両方の面になっているけれども、大聖人のすべての御書にあらわれているところのものは、まあ折伏になるね。布教の徹底するということは、摂受で布教の徹底というのは、まあないですからね。折伏一手です その折伏はですね、極端な折伏は武力ですから、それは国王がやらなければならん。それ以外に武力はないから。
龍  それはつまるところ国家対国家ということになるんでしょうか。
猊下  ええ、国家対国家になる。」
(「三大秘法と戒壇の歴史」『大白蓮華』59号所収、昭和31年4月号)




布教を進めていくにあたり、極端な折伏は「武力」になることを、堀日亨氏がすでに理解して認めています。したがって日蓮の遺文を素直に読めば、「折伏」は本来日蓮や日興にあっては、「為政者や神仏による他宗派の武力弾圧」という意味で使われていたということです。























『注法華経』を伝えようとしない姿勢。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮の弟子、六老僧の一人である白蓮阿闍梨日興の筆録による『宗祖御遷化記録』によれば、日蓮の遺言は「釈迦立像」のことと「注法華経」のことが述べられていることを、以前からブログで指摘しています。



「『注法華経』のこと」



日興『宗祖御遷化記録』では、日蓮の遺言として『注法華経』が述べられるだけで、どこにも「口伝」とか「相伝」とか「戒壇本尊」とか、そんなことは一言も書かれていません。
ですから、日蓮門流からはすでに明確なことなのですが、日蓮の最重要の書物は『注法華経』であったということです。


ところが、創価学会日蓮正宗のような大石寺系教団は、この『注法華経』を全く信徒に教えません。何が書いてあるのかも全く伝えていませんし、そもそも日蓮の著作として遺言で「私集最要文」とされた筈の『注法華経』を、信徒の目に触れる形で全く出版していないのです。
ところが、創価学会がこの『注法華経』を底本として刊行した出版物が一つだけ存在します。
それは創価学会が2002年に刊行した『妙法蓮華経並開結』です。秋谷栄之助氏の「発刊の辞」にはきちんと「『註法華経』として伝えられているものを底本とした」と書かれています。

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ところで『注法華経』真蹟には、天台教学や様々な解釈、経典、疏釈の要文が行間に所狭しと書かれています。日蓮本人は生涯にわたってこの法華経に注を書き込み続けました。それは迫害の多い人生の中で、さらに典籍が入手困難な時代背景もあり、日蓮本人が採った修学の方法であったのかと思います。


ところが、この『注法華経』の書き込みが、2002年に刊行された創価学会版『妙法蓮華経並開結』にはほとんど全くと言ってよいほど反映されていません。
真蹟画像と見比べてみればわかりますが、真蹟にたくさん書いてある注記について、創価学会版はほとんど全てをカットしています。わずかに科段としていくつかの語を行間に書くだけです。以下は如来寿量品冒頭の『注法華経』真蹟と創価学会版の『法華経並開結』如来寿量品のページとの対照です。

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つまり創価学会としては、『注法華経』を底本にして法華経刊本を出したと言っても、肝心な『注法華経』の中身について信徒に教えようとは全くしていないということになります。










新版御書全集には底本の記載がない。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて2021年11月18日に、創価学会は新版の御書全集を発刊しました。
私など平楽寺版で日蓮遺文も読めますから、わざわざ屋上屋を架してまで新しい御書を買う理由はありません。
ところで、この新版御書全集、旧御書全集との対照表が2021年12月19日付の聖教新聞6〜7面に掲載されていました。

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見て驚いたのは、旧御書全集にあった『御義口伝』も『百六箇抄』も収録。偽書の疑いの濃い『本因妙抄』『産湯相承事』も全部同じように収録しています。
読んでいて思うのですが、この新版御書全集、底本の記載がないんです。つまり何を基準にしてこの遺文を載せたのかという文献的根拠が全く示されていないということです。
だいたい『御義口伝』や『本因妙抄』を収録するなら、『本尊三度相伝』や『御本尊七箇相承』も収録した方がいいのではありませんか。



日興関連の文献で、以前は編年体にしか収録されていなかった『美作房御返事』『原殿御返事』が今回収録されますが、それなら『本門弘通事』『三時弘経次第』『神天上勘文』なども収録して良いのではありませんかね。


要するに基準が不明瞭なんですね。
何を入れて何を抜くのか、その理由は何なのか、底本は何なのか、どういう研究成果を参考にするのか、真偽未決も含めるならその根拠は何か、そういったことに全く答えていません。


立正安国論』は広本と略本が知られますが、どちらを載せているのか。略本のみを採用するなら理由は何か。
『開目抄』は真蹟身延曽存ですが、その底本はどうするのか、日興写本は開目抄要文に過ぎませんから、どこの何を底本としたのかが問われてくるでしょう。
そもそも日蓮真蹟との対照の上で、きちんと編集はされているのか、誤記があったのならどこをどう直したのか、真蹟との対照は何によって行ったのか、日蓮真蹟遺文集成からなのか、実地調査を行ったのか否かも全くわかりません。
真偽未決のものも含まれているようなので、その場合はどこの写本や現行版を底本としたのかが問われるでしょう。少なくとも写本や真蹟所在が旧御書全集には目録で載っていたのですが、今回の御書はそれさえありません。



単に資金力にものを言わせ、現行本に付録をして文字のフォントを大きくして見やすくして「一丁上がり」だとしたら、日蓮に対する冒涜にもなりかねないと思います。
史実を大切にしない日蓮正宗創価学会のような大石寺系教団が、底本を明らかにしない御書全集を発刊しても、その目的を疑われるだけかと思います。真摯に史料から遺文を決定する学問的誠実さに彼らは欠けていると思います。

















現当二世のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて日蓮正宗系の本尊右上には「為現当二世」と書かれることがあります。これは現世と未来世の二世に渡るという意義が込められているとか、いろいろ日蓮正宗では説明がされます。下の画像は大石寺67世・阿部日顕氏書写の本尊ですが、きちんと「現当二世」と書かれています。

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ところが、この言葉、日蓮真蹟本尊、また日興の真蹟本尊にも書かれていません。
調べてみると大石寺3祖の日目書写本尊にも書かれていません。4世日道、5世日行、6世日時、8世日影、9世日有の本尊を可能な限り見てみたのですが、書かれていません。
そもそも大石寺奉安堂蔵の弘安2年造立説戒壇本尊は、偽作の可能性が高いものですが、これに書かれている「為現当二世」は本尊右上ではなく本尊下部に金箔を入れないで彫られています。つまり右上に「現当二世」を書き込むという書法は、上古の大石寺の教義には存在しなかった可能性が高いのです。
ちなみに創価学会で頒布されている大石寺26世の日寛書写本尊にも「現当二世」の文字はありません。年号の享保5年の上は空白で「現当二世」の文字はどこにも見られません。

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ちなみに日寛書写本尊は、他にも享保3年書写本尊、享保11年の静岡県沼津市の板本尊を確認しましたが、どれも「現当二世」の文字は書かれていないのです。


では大石寺の歴史の中で、最初に「現当二世」の文字を書いた本尊が出てくるのは、いつ頃のことなのでしょうか。
私の限られた資料の中から発見したのは、大石寺48世清日量の本尊でした。以下の画像は、天保11年4月8日書写、深沢源七授与の板本尊です(静岡県沼津市某家蔵)。ちなみに天保11年の時点で日量は既に51世の日英に法を付属しており、「隠尊」となっています。

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これ以降、近年に入ると、本尊中に「現当二世」の文字が書かれるようになります。以下の画像は大石寺56世大石日応(日應)の明治44年4月書写の本尊になります。確かにここには「為大法興隆現当二世」と書かれています。

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ところが、書かない例も併存しています。例えば少し遡りますが、大石寺52世の鈴木日霑が明治11年8月1日、信濃講中に授与した本尊では「一天四海皆帰妙法広宣流布」と書かれているのですが、ここには「現当二世」の文字はありません。

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また以前に紹介した大石寺64世・水谷日昇氏が書写した「創価学会常住」の本尊にも「現当二世」とは書かれていません。画像は不鮮明のため、わかりづらいと思いますが、マークした部分には「為大法弘通慈折広宣流布大願成就」と書かれています。信濃町広宣流布大誓堂に行かれる方がもしもいましたら、ぜひ直接に確認してみてください。

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思うに、本尊右上に「現当二世」と書く教義は、元来日蓮や日興、日目らの考えにはなく、江戸時代中後期から次第に書かれるようになったものと考えられます。しかしながら52世鈴木日霑の本尊や、66世細井日達の御守本尊、67世阿部日顕書写の導師本尊等には書かれていません。したがってこの教義は近年以降も決して一貫しているとは言い難いと私は思います。




追記
ちなみに日蓮遺文中で「現当二世」と書かれているのは、私の知る限りでは、『真言見聞』『下山御消息』『当体義抄』の三つだけです。このうち『真言見聞』と『当体義抄』は真蹟不存、残る『下山御消息』も現存率10%程度の断簡の集積です。したがって日蓮はほとんど「現当二世」という言葉を使わなかったと考えられます。