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「摂受と折伏について」
この点については複数の識者も認めるところでして、創価大学の宮田幸一氏も論文で「鎌倉仏教の創始者は迫害を受けているが、その中で最も迫害を受けた日蓮が最も国家による宗教統制を主張していたのは歴史の皮肉だ」と述べています。
宮田幸一「日本仏教と平和主義の諸問題(1)」
宮田氏の論と重なりますが、日蓮の遺文からこの点について今日は見てみたいと思います。
まず初めに『守護国家論』です。
「而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり梵網経の文の如くならば必ず三悪道に堕せんこと疑無き者なり、涅槃経の文無くんば如何にしてか之を救わん亦涅槃経の先後の文の如くならば弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う」
つまりここで日蓮は「正法の比丘」を守護するために「弓箭・刀杖を帯して」と積極的に武力の行使を容認しているんですね。
これが『立正安国論』になると少しトーンが変わってきます。
「全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり、夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は即ち其の施を止む」
(『立正安国論』同30ページ)
つまり釈迦以前の仏教なら謗法者は斬罪なのですが、釈迦以降の仏教では謗法者への布施を禁じることで、謗法禁断の柔軟な方法をここで日蓮は提案しているように見えます。
ところが、晩年に至り、日蓮は再び積極的に武力による宗教統制、宗教弾圧を主張するようになります。それは『撰時抄』です。
(『撰時抄』同287ページ)
日蓮が謗法を禁じたのは、謗法者を放置すると自界反逆難と他国侵逼難が起こり、国内外での争乱が起こるという、護国経典を由来とする危機意識からです。それは裏を返すと、国家が正しい教え=法華経を信奉するならば平和楽土が建設できると日蓮自身が信じていたからに他なりません。