いつもみなさん、ありがとうございます。
「摂受と折伏について」
「日蓮における他宗弾圧の正当化」
「日興による『折伏』の用例」
上の記事、どれを見てもおわかりかと思いますが、本来日蓮や日興の思想では「折伏」に「布教」の意味はなく、「為政者による他宗の武力弾圧」だったのです。だからこそ出家者である日蓮や日興は人を殺めることができないからこそ、国家諫暁を行って立正安国論の提出を幕府や時の政府にしてきたのです。
さてそんな考えですが、実はこの「折伏=武力弾圧」という意味が、かつての過去の大石寺でも普通の認識であったことがわかってきました。『大白蓮華』59号(昭和31年4月号)に載る記事で、大石寺の堀日亨氏に聞く企画「三大秘法と戒壇の歴史」というものがありまして、この中で堀日亨氏は以下のように述べています。ちなみに聞き手は辻武寿、池田大作、龍年光、司会は小平芳平です。
両方の面になっているけれども、大聖人のすべての御書にあらわれているところのものは、まあ折伏になるね。布教の徹底するということは、摂受で布教の徹底というのは、まあないですからね。折伏一手です その折伏はですね、極端な折伏は武力ですから、それは国王がやらなければならん。それ以外に武力はないから。
龍 それはつまるところ国家対国家ということになるんでしょうか。
猊下 ええ、国家対国家になる。」
布教を進めていくにあたり、極端な折伏は「武力」になることを、堀日亨氏がすでに理解して認めています。したがって日蓮の遺文を素直に読めば、「折伏」は本来日蓮や日興にあっては、「為政者や神仏による他宗派の武力弾圧」という意味で使われていたということです。