いつもみなさん、ありがとうございます。
さて法華経陀羅尼品第26の次の文を、少し前の記事で紹介しました。
今回検証したいのは、この「頭が七つに破れてしまえ」という呪詛にも似た罰の言葉は、果たして釈迦の本来の教えなのか、という点です。
実は『スッタニパータ』の第5章「彼岸に至る道の章」の序には、歯が汚れ、頭に塵をあびたバラモンがやってきて、バーヴァリという人に五百の金を乞うという話が出てきます。
少し引用してみましょう。
「『わたくしがもっていた施物はすべて、わたくしが施してしまいました。バラモンよ。どうかお許しください。わたくしには五百金がないのです。』
『わたくしが乞うているのに、あなたが施してくださらないならば、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえ。』
詐りをもうけた(そのバラモン)は、(呪詛の)作法をして、恐ろしいことを告げた。彼のその(呪詛の)ことばを聞いて、バーヴァリは苦しみ悩んだ。」
バーヴァリが許しを請うた時、このバラモンは「七日の後に、頭が七つに裂けてしまえ」と呪詛を投げつけ恫喝しています。 このためバーヴァリは食事も喉を通らないほど苦しみ悩んでしまいます。
そしてその後、バーヴァリはゴータマ・ブッダと会います。
「『バーヴァリは頭のことについて、また頭の裂け落ちることについて質問しました。先生! それを説明してください。仙人さま! われらの疑惑を除いてください。』
(ゴータマ・ブッダは答えた)、『無明が頭であることを知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落させるものである。』
そこで、その学生は大いなる感激をもって狂喜しつつ、羚羊皮(の衣)を(はずして)一方の肩にかけて、(尊師の)両足に跪いて、頭をつけて礼をした。
(ゴータマは答えた)、『バーヴァリ・バラモンも、諸々の弟子も、ともに楽しくあれ。学生よ、そなたもまた楽しくあれ。永く生きよ。
バーヴァリにとっても、そなたにとっても、いかなる人にとっても、もしも疑問が起って、心に問おうと欲するならば、何でも質問なさい。』」
(同216ページ)
釈迦はここでバーヴァリの苦悩に対して「無明が頭であると知れ」と呪いの言葉を別の意味に転じて当人を安心させ、さらには「そなたは楽しくあれ。永く生きよ」と励ましてさえいます。
ここでバラモンの言葉として書かれている「頭が七つに裂けてしまえ」という呪詛は、本来ウパニシャッド等、古代インド、バラモンの教えなのであって、それが漢訳仏典を通じて、中国に伝わる歴史的過程の中で、いつしか仏教の教えの中に取り込まれるようになったのだと考えられます。