気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

有徳王と覚徳比丘のこと。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、本日は『三大秘法抄』(『三大秘法稟承事』)について、思うことを書いてみたいと思います。
まず創価学会版御書から、三大秘法における「戒壇」建立の条件を述べた部分を抜き出してみましょう。



戒壇とは王法仏法に冥じて仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」
(『三大秘法抄』創価学会版御書1022ページ)

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広く知られているように『三大秘法抄』は真蹟不存の真偽未決です。なのでこれを過信するのは注意が必要なのですが、私が最近気になっているのは、ここにある「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」という言葉です。
元広宣部時代、顕正会対策にこの遺文はさんざん読んでいましたし、他の部分はたくさん対策に勉強したのですが、なぜかこの「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」だけは当時からスルーでした。



有徳王と覚徳比丘とは、涅槃経に出てくる人物です。
涅槃経では歓喜増益如来が亡くなり、正法が滅尽して無仏の時代となり、人々の間に疫病や貧困が溢れるようになることが説かれます。
その結果、衆生は出家僧侶たちにすがろうとしますが、仏がいない時代に慣れ、僧侶たちも私利私欲に走る姿が描かれます。
そんな時代を憂いていた有徳王、そして僧侶の堕落を嘆いて改革を訴える僧侶・覚徳比丘が現れます。
有徳王は覚徳比丘を支持し、後に覚徳比丘を殺害しようとする僧侶たちと武器を持って戦います。結果、敵の僧侶たちは倒され、覚徳比丘は守られますが、有徳王は身体に大小無数の傷を負い、命を落とすことになります。



……とまあ、そんな話なんですが、つまり武器を持って有徳王が他宗派の僧侶を悪として倒していく姿が現れた時こそが、ここでいう「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」ということになります。
つまり戒壇建立は、もしも『三大秘法抄』のこの記述を根本とするなら「為政者が武力をもって悪の僧侶たちを倒した時」が、戒壇建立の一つの条件になるということです。
とすると、やはりここでも「折伏」というのは「武力における他宗派弾圧」を意味していまして、それが末法時において実現された時が「戒壇建立の時ではないか」と『三大秘法抄』では述べられていることになります。






つまり『三大秘法抄』の記述にしたがうなら、戒壇建立は為政者が武力をもって他宗派を弾圧して、法華一乗の僧侶を用いる時こそが戒壇建立の時となるということです。これらは『観心本尊抄』の末文とも符号します。
真偽未決ながら、日蓮系の思想にはこのような国家による他宗派弾圧の思想が含まれているのですけど、今の私にはそんな考えは願い下げです。そのような考えは無効であるし、その意味で日蓮は批判されるべきだと思います。
逆に日蓮の純粋な思想の通りに布教しようとするなら、日蓮や日興たちが生涯を通して行った国家諫暁と他宗派への武力弾圧こそが、純粋な日蓮にしたがった行為となるでしょう。