いつもみなさん、ありがとうございます。
さて、保田妙本寺11世である日要の著作に『新池抄聞書』というものがあります。
「日有云く、また云く、大石は父の寺・重須は母の寺・父の大石は本尊堂・重須は御影堂・大石は本果妙・重須は本因妙・彼は頼願寺・此は祈願寺・彼は所開・此は能開・彼は所生・此は能生・即本因・本果・本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり、開山置状に云く日目・日仙・日代は本門寺の大奉行・中にも日代は日興が補処たり文、是は日興は母の得分にて後座すに依て日代には母の方を授け日目には父の方を授け給へり。」
注目すべきことは「大石寺は本尊堂」で「重須は御影堂」とされているところです。つまり大石寺9世日有の時代に入り、突然に日有の周辺から「大石寺は本尊堂が優れている」という論が出てくるのだということです。しかもここでは「三妙合論の事の戒壇」とまで呼ばれています。
ここからもわかるように、大石寺が戒壇本尊を偽作し、特別な権威づけを図ったのは大石寺9世日有の頃なのであり、それまで歴史上出てこなかった、本尊堂としての大石寺の優劣が出てくることは、日有周辺またはその前後の時代に戒壇本尊が権威づけのために偽作された可能性が高いのだと考えられます。
「弘安2年の御本尊は後世の創作」
「戒壇本尊と『御本尊七箇相承』との相違」
「興門流の各文書に見る戒壇本尊への疑義」