気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

日興は北山本門寺で葬られた。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今回は白蓮阿闍梨・日興の墓のことです。
なんでこんなことを書こうと思ったかと言うと、大石寺創価学会の一部の教条主義的信徒さんの中に、未だに大石寺に日興の墓があると思ってらっしゃる方がいることによります。



私の中では当たり前のことで、また史実としても疑い無いことなのですが、日興は北山本門寺(重須)で亡くなっています。時は正慶2年(1333年)2月8日のことです。ちゃんと記録にも残っていますし、北山本門寺には「日興上人御正廟」という墓が現存しています。
大石寺の一部の教条主義的な法華講信徒さんは、大石寺にある「三師塔」が日興の墓だと思っているようですが、あれは後世に作られたもので、日興の墓ではありません。



日興の葬儀については、宰相阿闍梨日郷が残した『興師御遷化次第』にきちんと記録されています。



「正慶二年癸酉二月六日丑尅
駿河国富士山麓重須郷日興上人御歳八十八而御遷化
同八日酉時入棺
同戌時御葬送次第」
(日郷『日興上人御遷化次第』日蓮宗宗学全書2-270ページ)

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日郷の記録ではきちんと「重須郷」と書かれています。「重須」とはもちろん北山本門寺のことです。
葬送には御輿の前陣に上蓮坊日仙が、後陣には蓮蔵坊日目が参列しています。日目とはもちろん大石寺3世の新田卿阿闍梨日目のことです。


日興は重須北山本門寺で亡くなり、北山本門寺で葬られています。事実として北山本門寺には「日興上人御正廟」つまり正墓が存在します。



日興上人御正廟の画像もすでに複数、ネット上に上がっています。





また少し後代になりますが、大石寺18世日精の『家中抄』には日興の初七日の供養は「重須」で行われ、日目が説法をしていることが書かれています(富士宗学要集5-179ページ)。一百箇日供養は大石寺で行われたことが書かれていますが、北山本門寺で日興が亡くなったことを否定するものはどこにもありません。

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というわけで、大石寺には日興の墓はありません。日興の墓が北山本門寺に現存していることはすでに歴史的な史実であり、それを否定したり誤魔化したり、信徒に隠したりするのは私には不可解で不自然なことだと思います。



追記
ちなみに大石寺3世日目の墓も大石寺には存在しません。日目の墓は京都東山の鳥辺野延年寺(現在は日蓮本宗・実報寺)に現存します。大石寺には日興の墓も日目の墓も存在しません。



「日目の墓のこと」