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四神相応の地とは何でしょう。
これは中国や韓国から伝わった風水の説であり、寺院等建立の勝地として考えられてきた、土地の地勢のことです。
この説は、北に丘陵や高地(玄武)、東に流水や川(青龍)、南に湖沼(朱雀)、西に大道(白虎)と考えられています。
大石寺59世の堀日亨氏は『富士日興上人詳伝』において「(四神相応説について)あながちに依憑すべきにあらずとの説あれども、また、おおいに取るべき所なきにあらざるか」と述べ、同書の中で大石寺の周辺の地勢が四神相応に対応していることを図示しています。以下に堀日亨の図を載せてみます(同書271ページ)。
堀日亨氏は「おのおのその開基時代相地の用意不用意深く味うべきことで、ことにわれら開山日興上人・開基檀那南条時光の、遠き未来をかんがみての十二分の御用意に感謝すべきである」としています(同272ページ)。
また日興の『実相寺衆徒愁状』には、聖徳太子が本尊として観音像を置いた京都六角堂を「四神令具足・三宝可繁盛之霊地也」(『日興上人全集』94ページ)としています。日興の思想中にも「四神相応の地」を「勝地」とする説があったことはここからも明らかであると思います。以下に『実相寺衆徒愁状』真蹟(北山本門寺蔵)の当該箇所の画像を載せます。
ところで、創価学会が、日興門流とその正統な後継を自称する教団であるとするなら、日興が述べたような「四神相応の地」に信濃町があたるのでしょうか。また「広宣流布大誓堂」の周辺は「四神相応の地」として日興の教えに則った地なのでしょうか。そしてその説明がなぜ教団側からなされないのでしょうか。