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ところで日目の墓ってどこにあるのでしょう。
大石寺の説明ですと、日目の御廟所は下之坊御廟所であるとしていますが、下之坊御廟所は後世に創建されたものであり、日目が埋葬されたとされる記録は存在しません。
実は日目の墓は鳥辺山延年寺に存在します。
日目は京都への天奏の途上、美濃の垂井で元弘3年(1333年)に亡くなりますが、その後、遺骨を持ち帰った日郷と日尊が京都東山の鳥辺野の延年寺に埋葬したとされます。
その証拠として、延年寺に対し、日郷並びに日郷門下の日叡等が日目の御廟所としての土地を四度にわたり買い求めていまして、その売券が記録として残されています(富士宗学要集8-69〜71ページ)。
1、暦応3年(1341年)7月15日、日郷
2、康永3年(1344年)2月28日、日叡
3、貞和3年(1347年)7月18日、日郷
4、貞治4年(1365年)3月15日、日伝
堀日亨もこのことをきちんと書いて記してあります。
「延年寺墓地売券、祖滅五十九年、目師垂井に御帰寂後八年に郷師始めて京都東山延年寺大墓域の一小部分を買得して御遺骨を葬るを得しも、地域頗る狭小なるを以つて追々に買収して拡張したるなり」
(同69〜70ページ)
日目の御遺骨を分骨にして大石寺に持ち帰ったとか、そんな記録はどこにも存在しません。
したがって大石寺には日目の墓すら存在しないということになります。