いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は、あるブログ読者からの資料提供を記事としてあげてみたいと思います。
実際に早川達道氏の『身延離山の研究』の画像を見ましたが、巻頭には資料提供をした人物の中に堀日亨氏も明記されています。
ではなぜ早川達道氏が『身延離山の研究』を出版した翌年に、わざわざ堀日亨氏が自分の手で『身延離山史』を刊行する必要があったのでしょうか?
それは早川氏の『身延離山の研究』に、北山本門寺6世日浄の『日浄記』が引用され、「日有開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊之を彫刻し、猶己義荘厳の偽書を作る」として、戒壇本尊の偽作説が提出されてしまったためかと考えられます。
推察するに、早川達道氏に史料提供をして完成した『身延離山の研究』に戒壇本尊の日有偽作説が盛り込まれてしまったことにより、大石寺側に反証する必要性が生じて、結果的に堀日亨氏が翌年に大石寺史としての『身延離山史』を刊行するに至ったと考えると、筋は通るように思います。