気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

北山本門寺と大石寺の『身延離山史』

 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
さて今回は、あるブログ読者からの資料提供を記事としてあげてみたいと思います。
今回の内容は昭和12年に刊行された、大石寺59世堀日亨氏の『身延離山史』についてです。
 
 
日蓮正宗の『富士年表』で見ると確かに堀日亨氏の『身延離山史』は確かに昭和12年に刊行されています。
ところが、ブログ読者からの指摘によれば、その前年、昭和11年に既に北山本門寺の早川達道(一三)が既に『身延離山の研究』なる本を既に出版しているのです。

なおこの読者の方は故早川達道住職本人から直接話を伺う機会もかつてあったとのことで、お話によれば、大石寺の堀日亨氏がお忍びで北山本門寺の早川達道氏に会いに来たことがあったそうです。
実際に早川達道氏の『身延離山の研究』の画像を見ましたが、巻頭には資料提供をした人物の中に堀日亨氏も明記されています。

ではなぜ早川達道氏が『身延離山の研究』を出版した翌年に、わざわざ堀日亨氏が自分の手で『身延離山史』を刊行する必要があったのでしょうか?
それは早川氏の『身延離山の研究』に、北山本門寺6世日浄の『日浄記』が引用され、「日有開山の本懐に背き、未聞未見の板本尊之を彫刻し、猶己義荘厳の偽書を作る」として、戒壇本尊の偽作説が提出されてしまったためかと考えられます。

 
この北山本門寺に存在する戒壇本尊の偽作説に関して、一度記事に書いたことがあります。
 
北山本門寺に伝わる戒壇本尊の日有偽作説」
 
推察するに、早川達道氏に史料提供をして完成した『身延離山の研究』に戒壇本尊の日有偽作説が盛り込まれてしまったことにより、大石寺側に反証する必要性が生じて、結果的に堀日亨氏が翌年に大石寺史としての『身延離山史』を刊行するに至ったと考えると、筋は通るように思います。