気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆

創価学会の元非活メンバー(現在は退会済み)による語り

戸田城聖氏の「業病」についての指導。

 
 
 
いつもみなさん、ありがとうございます。
 
 
 
さて今回は戸田城聖氏が「業病」について、どのような指導をしていたかを簡単に紹介したいと思います。かつての創価学会はこのように「御本尊に祈ると病気は治る」と指導していたのですが、この指導は果たして現在でも有効なものとして創価学会日蓮正宗信徒内では考えられているのでしょうか。
以下に引用の画像は戸田城聖『巻頭言集』(創価学会昭和35年)145〜150ページ、『大白蓮華』47号(昭和30年4月1日)巻頭言「業病について」になります。

読んでおわかりかと思いますが、戸田城聖氏は過去世の業因によって起こる難病を小児麻痺、精神病、脳水症としています。そしてその原因を日蓮の『太田入道殿御返事』(真蹟断簡現存)に求め、「法華誹謗による」とするのです。
過去世の業により病気になるという指導はかつての創価学会大石寺で広くなされていたものです。そしてそれを治すために戸田城聖氏は「大信力を起こして大御本尊を拝み、折伏を行ずるならば、その子どもは直る(ママ)」としています。
 
 
私は鎌倉時代の限界のある医療で、神仏への祈祷がなされていたことは当時の歴史的文脈から容易に想像できると思います。
しかしながら、それを安易に現在の文脈に置き換えて「祈れば治るのだ」とする考え方は、あまりに論理的思考を欠いた安直なものだと考えざるを得ません。
 
 
また今の創価学会は、今もこの戸田城聖氏の指導が正しいと考えるのでしょうか?
戸田城聖氏は会の「永遠の指導者」として会則で定義づけられていますが、今でもこの指導は有効なのだと考えるのでしょうか?
また日蓮正宗は、今もなおこの戸田城聖氏の時代錯誤な考え方を正しいとして、病気は後世の偽作でしかない「戒壇本尊」に祈れば治ると本気で考えているのでしょうか?
 
 
かつての解釈が間違っていたのなら、過去の過ちは認めればよいのだと思います。
それを「あの時はこう指導するのが正しかったのだ。今は違うのだ」とするなら、単なる自己矛盾の正当化でしかないと私は思います。