いつもみなさん、ありがとうございます。
さて、このブログでは何度となく指摘させて頂いていますが、日蓮や日興における「折伏」の用例には、現在使われているような「布教」の意味はほとんどなく、どちらかというと「神仏や為政者による他宗派への弾圧・処罰」という意味で使われていることがわかります。
さて今回は、日興の同著作『玄義集要文』の末尾の一文を紹介したいと思います。
末尾には次のように書かれています。
「ねはんきやうにハ、まさにそのくひをきるへしといふ。これらのもんハならひにこれはほふのひとをしやくふくすへし。一さいきやうろんハこの二をいてす。一さいしやうきやうハこの四(ししち)をいてす。」
(日興『玄義集要文』、日興上人全集92ページ)
簡単に通解すると
「涅槃経には『まさにその首を切るべし』と言う。これらの文は破法の人を折伏すべしと言うことである。」
少し前には涅槃経における有徳王と覚徳比丘の故事が挙げられ、正法を護持する者は武器をもって正法の比丘を守るべきであることが書かれています。
「せんなんし、しやうほふをこちせんものは五かいをうけされ。ゐきをしゆうせされ。刀剣・きうせん・むさくをたもつて、しやうほふの比丘をまほるへし。これをなつけてちかいとす。」
(同91ページ)
ここの「刀剣」とは刀や剣のこと、「きうせん」とは弓箭つまり弓矢のこと、「むさく」とは鉾等の武器のことです。
このように日蓮や日興の思想には、武力による他宗派弾圧が為政者や神仏によって許されるという考えがあり、また正法護持のためには涅槃経の有徳王の故事にあるように、刀剣や弓箭等による軍事武装、武力行使も辞さないという考えがあることがわかるでしょう。